働き方改革が進み、残業時間削減や有休休暇促進、在宅勤務などに踏み込む会社が増えてきた。それにともない、働きやすい職場があらためて注目されている。本シリーズでは、部下の上手な教育を実施したりして働きがいのある職場をつくり、業績を改善する、“働かせ方改革”に成功しつつある具体的な事例を紹介する。
いずれも私が信用金庫に勤務していた頃や退職後に籍を置く税理士事務所で見聞きした事例だ。諸事情あって特定できないように一部を加工したことは、あらかじめ断っておきたい。事例の後に「ここがよかった」というポイントを取り上げ、解説を加えた。
今回は、新卒(大卒)の採用力を急速に強化している大手小売店を紹介しよう。その手法については様々なとらえ方ができるのかもしれないが、私は意味の深いものだと思う。ぜひ、参考にしていただきたい。
第3回の舞台:大手小売店
(正社員900人、アルバイト7000人)
ワークライフバランスの“ライフ充実”を訴求した結果……
ランチを終えた後、喫茶店でコーヒーを飲みながら営業課長(42歳)が、人事部の新卒採用担当グループの課長(41歳)と話し合う。
「あの内容じゃあ、詐欺みたいなもんだよ」
「いや、エントリー者数を増やすことがまずは先決。大量の母集団が形成されてこそ、何度かの面接試験でふるいにかけることができる。エントリーを受け付ける段階では文句なしに、数が必要なんだ」
「だけど、うちの新卒用の求人サイトは、働き方改革に(会社として)大胆に取り組んでいるとしつこいほどにアピールしている。女性の管理職育成や在宅勤務、労働時間削減なんか、盛んに…」
「事実関係に誤りがないから、あれでいいんだよ」
「だけど、エントリー者数を増やそうとして、いいことばかりをアピールしても、いざ入ったら、彼らはこんなはずじゃなかった、と思うに決まっているさ」
「まあな…」
「実際、次々に辞めていくじゃん!」
ここ3年程、人事部の新卒(主に大卒)の採用担当者と面接官として関わる管理職が頻繁に交わすやりとりだ。人事部が3年前に制作した新卒採用のウェブサイトの内容が今の時代を反映し、「働きやすい職場」であることをことさら強調しているように管理職たちには見えるようだ。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の「ワーク」の意識に乏しい学生が増えすぎている、と嘆くのだ。
実際、本エントリー者数は5年程前の約3500人から5000人程に増えた。そのことについては社内の関係者はおおむね納得しているが、最終面接(役員面接)に残る学生たちの意識が、5年以上前よりも数ランクは低いのでないか、とみる管理職が多い。特に仕事よりも、「余暇の過ごし方」や「趣味」などに強い関心がある学生が最終面接を受けるうちの約7割という。しかも、入社3年以内の退職者数が5年程前より増えつつあるようだ。
前述の営業課長が、採用担当課長にぼやく。
「うち(営業課)でも使えない新人が増えている。すぐにへたれる。だけど、学生の数が減り、働き方改革も進む。採用試験では、学生に迎合するだけで本当にいいのかな?」
「まぁ、我慢しろよ。今に人事部で採用後の教育態勢を一新して、軌道に乗せるさ。俺に案があるんだ。すでに(人事)部長らには伝えて、了解は取れているんだよ。反転攻勢をかけるさ」
まずは数を集め、定着する仕組みを作れば良い!
今回は働き方改革を意識し、ワーク・ライフ・バランスの「ライフ」に力を入れた採用活動をした結果、入社後、「ワーク」に熱心に取り組む新入社員が少なくなり、退職者が増えているケースと言えよう。一見すると失敗事例に見えるが、私はそのようには思わない。この事例から私が導いた教訓を述べたい。
①ここがよかった
まずは数を集める
新卒にしろ、中途にしろ、採用試験を行ううえでエントリー者数を増やす、いわゆる母集団形成は大切だ。可能な限り、多くの学生を集め、書類選考や面接、筆記などを通じてセレクトするのは間違いではない。入社後の様ざまなリスクを削減するためにも必要なのだ。小さない会社で解雇や退職勧奨、パワハラなどが頻発する理由の1つは、採用試験のハードルが大企業に比べて総じて低いこともあり、問題を抱え込む人が入社するケースが大企業よりは多いことがある。
会社の規模を問わず、採用試験において学生に訴えるセールスポイントは時代や環境の変化にともない、変えていくべきものだ。たとえ、学生に媚びようとも、時代の流れに委ねようとも構わない。まずは数こそが、大切なのだ。エントリー者数が少ないと、採用の精度は確実に下がる。
ここ数年、定着率が多少下がっていたとしても、エントリー者が増えているならば、倍率が通常は高くなり、優れた人材が入社している可能性が高くなっているはずだ。数年で現在の路線を「失敗」と捉えるべきではない。採用試験の成否は、少なくとも5∼10年で見つめるべきだ。
②いまから取り組むこと
定着させる仕組みをつくる
課題は、新入社員を定着させる仕組みが十分にはできていない可能性が高いことだ。そこでまず、共有意識を高め、一体感を感じ取らせるようにしたい。たとえば、人事部が同期会や20代の社員たちで集う懇親会、他部署との交流会、管理職や役員との接点をできるだけ増やすべきだ。人事部などがリードし、強引に言われるほどに仕掛けていきたい。年に10回を超えるほどに頻繁に行いたい。
そして、向かい合う仕組みをつくるのだ。人事部員が手分けして、入社3年以内の社員と1対1の面談(15∼30分)を年に数回は実施しよう。スカイプやテレビ電話会議を通じてでもよい。不満を述べる機会を意識して増やすのだ。上司とは毎日約5分の話し合い、さらに1週間に1度は「1on1(ワン・オン・ワン)ミーティング」の実施を試みたい。上司が「詰める」ような聞き方をするのはタブーで、あくまで聞き役に徹したい。この繰り返しで、少なくとも組織や部署に同化する人たちが増えていくはずだ。
神南文弥 (じんなん ぶんや)
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。
連載「私は見た…気がつかないうちに部下を潰した上司たち」はこちら