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「新人職人殴打事件」を封印した有名すし店オーナー

このシリーズは、部下を育成していると信じ込みながら、結局、潰してしまう上司を具体的な事例をもとに紹介する。いずれも私が信用金庫に勤務していた頃や退職後に籍を置く税理士事務所で見聞きした事例だ。特定できないように一部を加工したことは、あらかじめ断っておきたい。事例の後に「こうすれば解決できた」という教訓も取り上げた。今回は、政財界の要人が通う有名すし店で起きた暴力事例を紹介したい。

 

Photo by RichLegg

第17回の舞台:関西で20店舗展開するすし店

関西のすし店(オーナー、店長以下、職員60人、アルバイト110人)

 

殴って覚えさせる職人の世界に、大卒の新卒が入店

 2008年、私が金融機関に勤務している頃、調査リポートを書くために、関西地域で20店舗ほどを展開するすし店のオーナーに聞き取りをした。この店は、政財界の要人がしばしば利用することでも知られる。

 オーナーの森本(62歳)は、2代目。創業者は実の父で、すし職人だった。急死にともない、職人だった森本が店長兼オーナーになった。08年は、飲食店の経営として難しい多店舗展開に一定の成功をおさめ、さらに拡大路線を模索している頃だった。

 これよりも2年前、厨房で暴力事件が起きた。30歳前後の職人が、大卒の新卒で入って数か月の見習い職人の顔を殴り、網膜剥離の大怪我を負わせたのだ。見習い職人は、直後に退職。森本が、殴った職人やそばにいた職人たちに聞き取りをしたところ、仕事を覚えようとしない姿勢に腹が立ち、感情的になった末の行為だということがわかった。

 殴った職人は、キレるタイプではなかったようだ。むしろ、若手・中堅20∼30人のまとめ役だった。森本は事件の数日後に、見習い職人の自宅に自身の片腕であり、けがをさせた職人の上司でもあるチーフを出向かせた。事が大きくなるのを警戒したのだという。チーフは、相手の親に厳しく叱られたらしい。プライドが高い森本には、それが屈辱だったようだ。その話をチーフから聞いた森本は、直後、殴った職人を激しく罵倒した。

 私がうかがった時、森本はこの話を淡々とした表情で、時折、笑顔を見せつつ語った。この事件について、経営者として罪の意識はさほどないのかもしれない。

 これまで職人の大半は、ほかの店で経験を積んだうえで移ってきた。通常、すし職人の世界はこのようなタイプが多い。だが、20店舗を展開し、規模が大きくなるにつれ、人材も多く必要となり、3年前から大卒の新卒を毎年2人ほど採用し始めていた。件の見習い職人は、都内と神奈川県にキャンパスがあるマンモス私立大学を卒業したばかりだった。

 森本は、こうも話していた。

 「殴られた彼は、なぜ、殴り返さなかったのだろう。どうも、職人は中卒や高卒が多いから、大卒に嫉妬したのかな…」

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こうすればよかった!解決策

受け入れ態勢を整え、以前からの従業員が嫉まない仕組みを作ろう

 人手不足や好景気の影響、今後の労働力不足の時代などを踏まえ、新卒採用を始める中小企業がある。今回の背景には、そのような事情がある。私は、次のような教訓を導いた。

こうすればよかった①
受け入れ態勢を整える

 新卒採用の場合、いわゆる母集団形成(エントリー者を増やすこと)や面接の仕方をどうするか、といったテクニカルな面に注意が向きがちだ。一方で、定着や育成について深く考え、効果のある施策や取り組みをつくろうとしている会社は必ずしも多くはない。

 今回の店も、例外ではない。新卒を雇い入れた場合、中堅の職人の下につくのは想定できていはずだ。それならば、事前に中堅を集め、パワハラなどについいて繰り返し教え込んでおくことはできなかったか。職人の世界ならば、ありそうではないだろうか。職人出身であるはずのオーナーがそのことに鈍いのが、私としては残念だった。

 「受け入れ態勢」というと、それを整えるまでに相当なコストと時間が必要に思える。その通りなのだが、はじめは、中堅や幹部に「パワハラ」「いじめ」「セクハラ」など重要な事柄を教えるだけでもいい。その後、「コーチング」などをテーマとすればよいのではないか。トラブルになりうることは、はじめに教えておきたい。

 

こうすればよかった①
高卒者が妬まないような仕組みを作っておくべき

 定着率を上げる場合、社内の風土にも目を向けたほうがいい。例えば、今回のように高卒者が多数いて、そこに大卒が数人入る時は、嫉妬などの感情が何かのはずみで働く時がある。数十人の職人の感情に発展すると、深刻である。集団で、大卒の新卒者をいじめる場合もある。今回も、それに近い側面はあるのかもしれない。

 少なくとも、高卒者が妬まないような仕組みを作っておくべきだった。例えば、高卒の職人に対し、今後のキャリアの道筋を設けて、それを繰り返し説明すると、将来についての不安は減る。それが、大卒者への嫉妬心を軽減することになる。学歴に限らないが、新卒者が可能な限りすんなりと仲間として受けいれやすい風土は作りたい。

 

神南文弥 (じんなん ぶんや) 
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。

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