大創産業代表取締役社長 矢野靖二(やの・せいじ)
●1971年広島県東広島市生まれ。95年吉備国際大学社会学部卒業後、イズミに入社。2015年大創産業入社。取締役、副社長を経て18年3月より現職。
創業者・矢野博丈氏からバトンを引き継ぎ、2018年に大創産業のトップに就任した矢野靖二氏。同じ広島本拠の総合スーパー大手イズミ(山西泰明社長)で約20年研鑽を積み、一貫して小売畑を歩んできた経歴を持つ。強力なトップダウン経営により、一代にして業界最大手の地位を築き上げた博丈氏から経営を託されて4年超。大創産業の今後をどのように舵取りしていくのか。メディアの取材にはほとんど応えてこなかった矢野社長が激白する。
少数精鋭から“多数精鋭”の組織に
──18年3月に社長に就任してから、およそ4年半が経過しました。創業者である矢野博丈氏はあらゆる意思決定を自身で行っていたイメージが強いですが、矢野社長はどのような組織づくり、会社づくりをめざしていますか。
矢野 先代の頃は、外部環境を含めて、そういったトップダウン方式でなければ成長し続けられませんでした。だからこそ、今のような規模にまで事業を急拡大できたわけです。
しかし、「ダイソー」業態だけでも全国に約4000店舗、海外にも2000店舗以上を展開する(22年10月時点)という現在、トップダウンですべてを決断することは不可能です。高いスキルやノウハウを持つ特定の人材に依存するといった、属人的な体制からも脱却しなければならない。社長交代を機に、私はそう考えました。
そこで20年に、西条(広島県東広島市)の本部機能を一部東京に移して、中途採用を含め人材の強化に動き出しました。それと同時に、急速成長の一方でなおざりになっていたところもある人材教育にも注力し、少数精鋭から“多数精鋭”な組織づくりを行ってきました。
──19年にはCI(コーポレート・アイデンティティ)を大きく変更しました。どのようなねらいがあったのでしょうか。
矢野 実はそれまで、「ファミリーダイソー」や「100円館」など50種類近くの屋号が存在していたのですが、これといった指針もなく、屋号を戦略的に使い分けることをしていませんでした。そこで、全社で目線を合わせて店舗展開していこうという意図で、「DAISO」というCIを設定したという経緯です。
もっとも、店舗数は当時ですでに3000店舗以上、前述のとおり今では4000店舗を突破していますので、全店を一気にリブランドすることはできません。新規出店や、既存店の改装に際して新CIを徐々に導入しているところです。
1兆円・1万店舗体制へ「出店余地は多分にある」
──社長就任と同時に「2030年までに事業規模を拡大する」という目標を掲げました。具体的な数値目標や、達成に向けた取り組みについて教えてください。
矢野 1万店舗・売上高1兆円というのが当面の目標です。これは
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