評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)
中内㓛とダイエーの貢献
渥美俊一(1926-2010)が読売新聞社の記者時代から小売業の専門家となり、やがて率いたペガサスクラブは、創設者を失いながら、旺盛(おうせい)に活動をつづけてきて、ことし60周年を迎えた。
ペガサスクラブ結成メンバーの、誰しも認める代表格であり、いつの時代も象徴のように関心を集めてきたのは、中内㓛(1922‐2005)とダイエーであるといって差し支えあるまい。チェーン化を進める他の、あるいは各地のチェーン化志向企業、さらに生活者たる大衆は、中内ダイエーの先鋭かつ戦闘的な姿勢に快哉(かいさい)を惜(お)しまなかったのである。
2004(平成16)年に産業再生機構という官製ファンドに自主経営権を強引に奪われることになって現在に至るが、中内㓛とダイエーの功績について、渥美の論旨は一貫していた。その象徴的な一連の例として、中内ダイエーがたとえ法廷闘争に至っても怯(ひる)むことのなかった松下電器産業(現・パナソニック ホールディングス)との「30年戦争」、あるいは花王との「10年戦争」さらに資生堂との製品出荷をめぐる長年にわたる騒動と苦闘などを踏まえ、2002年5月のインタビュー取材で、こう話している。
「オープンプライス制(オープン価格制)というものが導入されたでしょう。まず、家電製品を中心にほとんどがオープンプライス制になった。それができたのは、中内さんがほんとうに真っ向からの戦いを、松下、花王との間で、公正取引委員会をも巻き込んで、法廷闘争でさえ一歩も引かずにつづけたからですよ」
本連載で幾度かふれてきたように、中内㓛とダイエーについて作家やジャーナリストらによって書かれたものは枚挙にいとまがない。ダイエーが自主経営をかろうじて保ち、中内㓛が存命であったときに、評価を整えるのは書き手として難しいことであったろうとも察する。渥美は、上述の時点で、判断の視野を独自に持っていた。
「ダイエーと中内さんについて書かれたものについていうなら、およそ例外なく、ものすごく部分的に終始しているんです。中内さんという個性に、あまりにとらわれすぎるから、流通というものがわからなくなっている。日本の社会は、流通という仕組みを通して見ると、この50年間でがらっと大きく変化しています。そのことをちゃんと捉えなければならないのに、みんな見方がちゃちなんですよ」
「ちゃち」といったような表現は、実に渥美俊一らしい。
「わかっていないんだと思うんですよ。いかに、オープン価格制の実現に中内さんが努力をし、貢献したか、ということを。歴史的にもすごく大事なことだと僕は考えています。中内㓛一人の功罪だけを問題にしているから、わからないのでしょう。日本の経済の動きという大きな流れで見れば、きっとわかるはずなのにね」
「せいぜい1カ月くらいで退院できますから」
──反省も含めていえば、中内㓛という強い個性ゆえに、文学チックに陥って、みな引っ張られているのでしょうか。
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