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原発に“想定外”があってはいけない、と強く思う

 朝のラジオ番組を聴いていたら、日本国内外に原子力発電所(原発)をさらに建設しようという動きがあるという。

 開発再開の根拠は、最新技術のもとに建設された原発であれば、震度6以上の地震に遭遇しても決して事故を起こすことはない、というところにあるらしい。

 確かに100%事故を起こすことなく、炉心溶融も放射能漏れも起こすことのない原発であり、放射性廃棄物の処理も安全にできるのであれば、私も大賛成である。

 エコエネルギーを確保することができ、温暖化を防止してくれる。まさに「原発は地球を救う」である。

 しかし、以前からこのBLOGで書いているように絶対ということは絶対にない。

 ましてや100%絶対に事故を起こさない原発なんてあるはずがない。

 たとえば、宇宙航空研究開発機構(JAXA:東京都/立川敬二理事長)によれば、地球を周回する人工衛星は3000個を超える(2009年4月現在)。

 毎年、そのうちのいくつかが地上や海上に落ちてくることは、周知のとおりである。

 実際、今年10月にはドイツのエックス線観測衛星「ROSAT」が落下。12月24日には打ち上げに失敗したロシアの通信衛星「メリディアン」がシベリアに落ちたという発表があった。

 こうした宇宙のゴミの数々が原発を直撃する可能性はゼロではあるまい。隕石しかりである。
 

 また、“悪の枢軸”と呼ばれるような国が、国際緊張の果てに原発にミサイルを打ち込むケースだってゼロではない。

 テロ組織が狙いを原発に定める可能性は、落下物以上に大きな確率になるだろう。

 もっともっと率が高いのは、ケアレスミス、判断ミス、物忘れ、といったヒューマンエラー(人的要因)だ。人間が携わる仕事には必ず間違いが付きまとうものなのである。
 
「あなたね、そんなことは、“想定外”だよ」と一笑されるかもしれないが、原発には“想定外”はあってはならない。

 放射能を制御できる術を人類は持っておらず、一旦事故を起こせば10万年とも言われる半減期をひたすら待つしかないからだ。

 3月11日以降、我々日本人は、そのことを学んだつもりだったのに、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまっているようであり、原発建設や海外輸出の動きが再び起こっている。

 経済を優先させなければいけない日本国や各企業の懐事情は分からなくはないし、原理主義者のように聴く耳を持たない自分も嫌なのだけれども、それでもやはり、原発には“想定外”があってはいけない。