ナイキの「エアマックス95」、レッドウィングの「アイリッシュセッター」、「グッドイナフ」「アンダーカバー」「ア ベイシング エイプ」などのストリートブランド……かつて90年代にストリートファッションの“震源地”となっていたのが、明治通り裏手のキャットストリート(旧渋谷川遊歩道)を中心とした通称「裏原宿」エリアだ。
その後も時代の流れとともに流行は変わりつつも、日本のみならず世界のファッションの「聖地」であり続けている裏原宿。新型コロナウイルス禍を経て、その「裏原」を中心とした原宿の今はどうなっているのか。自らもかつてアメカジやゴスロリのショップを運営し、30年以上にわたってこのエリアを“定点観測”し続けてきた、原宿神宮前商店会会長の早川千秋氏に聞いた。
タピオカ屋が消え、古着屋が増えた「ウラハラ」
――新型コロナウイルス禍が明けた、今の原宿の現状についてお聞かせください。
神宮前商店会の管轄エリアを含む、いわゆる「裏原宿」エリアでいうと、コロナが拡大する直前の2019年までは空前のタピオカブームで、タピオカ屋があちこちに立ち並んで大変なにぎわいを見せていた。
ところが、2020年に入ってコロナが一気に広まると、タピオカ屋も含めた店舗が軒並み退店して空き家が続出し、一転して閑散とした状況になってしまった。
もともとこのエリアは90年代の「裏原ブーム」の拠点にもなったファッションの聖地。その、世界が注目する裏原宿をもう一度盛り上げていこうと、私が商店会長になったタイミングの2021年6月に「ウラハラプロジェクト」という任意団体を立ち上げた。かつての裏原ブームを牽引したクリエイターたちに声をかけたところ、100名近くの人が賛同して集まってくれた。
その矢先、2023年5月に新型コロナウイルス感染症が5類に移行してコロナ明けのムードが高まると、今度はそれまでの空き物件が次々に成約し、あっという間に埋まっていった。裏原宿を再び活性化させようと思ってプロジェクトを立ち上げたのだが、結果として勝手に活性化したような格好になった。
――新たに入居した店舗はどんな業態が多いのですか。
目立つのは古着屋だ。大阪を拠点とする古着専門店の「JAM」などは、この間に原宿エリアに100坪規模の店舗を2店舗もオープンした。キャットストリートも今はほとんどが古着屋になっている。90年代に流行したアメカジやストリートファッション、Y2Kファッションが1周回って若者や外国人観光客に受けている。
また、中国の「シーイン」など外資のアパレル企業の店舗も増えた。外資のほうが家賃対応できる印象だ。ユニークなところではフェンダーの「FENDER FLAGSHIP TOKYO」(2023年6月)やローランドの「Roland Store Tokyo」(同年10月)など、楽器ブランドの旗艦店も原宿エリアにオープンした。
インバウンド対策が新たな課題に
――空き店舗がなくなりにぎわいが戻ったとのことで、商店会としても当面の課題は解消されたということでしょうか。
そういうわけではなく、今度は水際対策の緩和と円安が進んだことで、外国人観光客が原宿・表参道周辺にも大挙するようになり、インバウンド対策が新たな課題になっている。
私の会社も5年前ほどまで20年近くゴスロリ系のブランドを手がけていて、ラフォーレと組んで以前はパリのジャパンエキスポや市内に単独でポップアップショップを出店していたが、当時からジャパンエキスポに出演した日本のアイドルから日本のポップカルチャーやファッションにも火がついて、ここ原宿がそのトレンドの「聖地」になっている。日本のアニメの影響も非常に大きく、渋谷とともに「聖地巡礼」の場所として認知されている。
――外国人観光客にとってはどんなアイテムが人気なのですか。
今日のアパレルのトレンドは細分化されているので一概には言えないが、「オニツカタイガー表参道」は連日のように大混雑している。また、日本製のジーンズはとくに欧米の人にとって憧れの的で、キャットストリートにある「EDWIN TOKYO HARAJUKU」も人気だ。「日本のブランドは日本の旗艦店で買いたい」というニーズが高いようだ。
日本のファッションの編集力は世界的に評価されている。その代表例が「アメカジ」で、今や「amekaji」は「kawaii」などと同様に日本のストリートカルチャーを代表するキーワードの一つになっている。アメカジのビンテージ古着もよく売れているようだ。
ただ、総じて言うとこれというトレンドがあるというよりは、円安の影響で外国人観光客の購買力が高く、気に入ったアイテムがあれば20万円、30万円でもポンポン買ってしまう。かつて私たちが昔海外に行ってラルフローレンを安く感じたのと同じ現象が、この原宿でも起こっている。
新たなクリエイターを「ウラハラ」から輩出したい
――先ほど「ウラハラプロジェクト」のお話がありましたが、発足当初とは状況が大きく変化した中で、現在はどんな活動をしているのですか。
イベントを中心に活動している。2024年3月に開催した「ウラハラニュービンテージフェス」ではキャットストリートにレッドカーペットを敷いてランウェイを実施したり、5月の連休期間には「ウラハラフルギマーケット」という古着のイベントを開催した。渋谷のコミュニティFMでラジオ番組を持ったり、オリジナルグッズの制作・販売もしている。
ただ、いずれはかつての「裏原ブーム」のように、新たなクリエイターを輩出するような仕掛けをしていきたい。
90年代には藤原ヒロシさん、NIGOさん、高橋盾さんなどのクリエイターが仕掛け人となって「グッドイナフ」「ア ベイシング エイプ」「アンダーカバー」など個性的なストリートブランドがこの裏原宿から生まれ、「メイドインワールド」「プロペラ」などのセレクトショップが軒を連ねていた。私自身もアメカジのセレクトショップ「エアロポステール」を30年以上にわたり運営していたし、老舗セレクトショップ「原宿キャシディ」は今なお健在だ。
ただ、それ以降は新しいサブカルチャーが育っていない。「ウラハラプロジェクト」ではせっかく100名近くのクリエイターに集まってもらったので、今のZ世代に向けた新たな発信を仕掛けていきたいと思っている。
大手ディベロッパーとも「共存共栄」で
――原宿以外の、渋谷も含めたエリアの変遷についてはどう感じていますか。
ファイヤー通りを中心とする神南エリアは、一時期に比べてセレクトショップも少なくなったが、公園が整備されたことでにぎわいが増え、「ミヤシタパーク」の「渋谷横丁」などは外国人観光客に人気のようだ。また「渋谷パルコ」にも客足が戻っており、周辺ショップを周遊する姿も見られる。
明治通り沿いもかつては「トランスコンチネンツ」などさまざまなブランドショップが並んでいたが、一時に比べて商売が難しいイメージがある。ライトオンの旗艦店「ライトオン ハラジュク トーキョー」などもコロナ禍を受けて閉店を余儀なくされた(2021年8月)。
一方で、渋谷駅周辺は大規模開発が進み、街の表情が大きく様変わりした。とくに東急不動産が「広域渋谷圏」を打ち出し、神宮前交差点に「ハラカド」「オモカド」、さらに桜丘エリアには「Shibuya Sakura Stage」などの新たな拠点を次々にオープンしたことで、人びとが原宿エリアと渋谷エリアを回遊する動きが少しずつ生まれているように感じる。
――対照的に、この裏原宿エリアは街の表情があまり変わらない印象です。
このエリアは渋谷区の文教地区に指定されており、地区計画によって用途制限や高さ制限が設けられている。また、通りが複雑に入り組んでいて、そもそも大規模開発には不向きだ。
そういった地域特性もあって、半径1キロ圏内にストリートカルチャーもあればラグジュアリーブランドもある、世界でも類を見ない不思議なファッションエリアが形成されてきた。店舗が入れ替わっても街の表情が変わらないのはそのためだと思う。
そんな独自のいいところは残しつつも、時代の流れとともに変化し続けているのが裏原宿というエリアだ。大手ディベロッパーの開発の勢いに置いていかれないよう、むしろ連携しながら共存共栄で発展していきたい。