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クシュタール買収提案でセブン&アイがいますぐすべきことと3つのシナリオとは

セブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン&アイ)はアリマンタシォン・クシュタール社(以下、クシュタール)から法的拘束力のない初期的な買収提案を受けました。これに対してセブン&アイは9月6日、買収価格(14.86米ドル/株=直近の為替相場で約2,100円)が過小評価であり、米国の競争法当局との関係で直面するであろう複数の重要な課題について適切に考慮されていないと回答しています。今回は、この両者の対決の行方について、3つの考えられるシナリオを用意して、検討していきたいと思います。

クシュタールからの買収提案

  興味深いのはクシュタールからの買収提案前後の株価の動きです。

 セブン&アイの株価は本件の報道後に2100円台に急騰し、その後はその水準を維持しています。米ドルベースでみても株価は下げていません。

 一方、クシュタールの株価は下落基調で、報道前に83カナダドルでしたが、一連の報道後75カナダドル程度まで下落しています。

 これは買い手側のクシュタールが一定の財務負担を負う形でセブン&アイに対して買収を行う可能性が継続していることを示しているようです。

クシュタールに借入余力はあるものの
課題は“財務的な”難しさ

 セブン&アイの株式を現金で全て買い付けるためには5.6兆円必要です。

 ちなみにクシュタールの純有利子負債は126億米ドル(=約1.8兆円)です。一方、負債返済減資の指標のひとつであるEBITDA(利払い前減価償却前利益;負債返済減資の指標)はおおよそ60億米ドル(=約0.8兆円)ですので、純有利子負債はこの2年分程度になり、借入を増やす余力があると言えます。

 セブン&アイの純有利子負債についてはセブン銀行ATMの現金残高の扱いとリース債務の扱い次第で数値がかわります。そこで純有利子負債が軽くなる楽観的な方向で計算を行うとその残高は約1.5兆円、EBITDAは約1.0兆円となります。この場合、セブン&アイの純有利子負債はEBITDAの1.5年分程度になり、こちらも借入を増やす余力があると言えます。

 しかし、5.6兆円を借り入れるとなると負担感が拭えません。単純合算の純有利子負債は8.9兆円で、単純合算EBITDA1.8兆円の約5年分になります。5年程度になると買い手であるクシュタールの株主は負担感を感じるというのが筆者の肌感覚です。セブン&アイの純有利子負債をより保守的に見ればいっそう負担感が増すことになります。

(i-stock/coffeekai)

 買収価格がこれよりも高まればクシュタールの増資観測がくすぶりますし、資金調達のスキームに優先株が含まれる可能性、あるいは株式交換などスキーム自体の変更もあるかもしれません。さらに、この件がまとまれば、2社ともに徹底した合理化に迫られることは不可避でしょう。

 過去においてこの手の買収のあと、コストシナジーの最大化に力を注ぐ結果、本質的な体力が削がれてしまったケースがあとを立たないというのが筆者の認識です。本件は慎重に進めるべき案件と言えそうです。

それでも強い、手を組むべき「戦略的な合理性」

 一方、本件には戦略的合理性が内包されています。

  セブン&アイ側では事業の取捨選択が進んだ一方、国内コンビニエンスストア(以下、コンビニ)事業には飽和感が出ています。さらに成長ドライバーと期待される北米コンビニ事業では、既存店商品売上高が2023年第3四半期以降マイナスで推移し、特に既存店客数は2023年第2四半期以降マイナスです。商品荒利率が低下基調にあり、ガソリンについても2023年第2四半期以降1日1店当たり販売量が減少を続けています(以上、四半期ベース)。

 日本の商品戦略の成功事例である「フードのPB化とアップセル」を米国で展開する期待が高いものの、これが定着するには一定の時間と規模が必要になることでしょう。ガソリン粗利は筆者の推計によれば依然として北米事業の収入源として重要な地位を占めていると思われるため、短期的には調達力の改善、長期的には自動車のハイブリッド化・EV化による需要減を見据えた対応を進める必要がありそうです。

 クシュタールもセブン&アイと類似した事業環境におかれセブン&アイと似通った戦略を考えている模様です。営業利益が伸び悩んでいること、米国では既存店商品売上高がマイナスであること、米国のコンビニ業界の集約が進むなかでポジションを高める意向を持っている模様であること、フード・PBが鍵だと考えていることなど共通点が多いと思います。

 セブン&アイのフード戦略が日本で成功した経験にクシュタールも注目していると考えられることから、両社が手を組むことにメリットが多いと考えられます。

今後考えられる3つのシナリオとは

 では今後どうなるでしょうか。現実的には3つのシナリオが考えられます。

 第1は、クシュタールが買収価格を引き上げるケース。

 この場合は、当局の承認が得られる見通しである限りセブン&アイは受諾せざるを得ないと思われます。

 ただし、現金による株式買付の場合は負債が一時的に重くなりますので、合理化が不可避になりますが、先に述べたように、過剰な合理化は体力を削ぎます。セブン&アイのEBITDAの中核を担い競争力の高い国内のオペレーションはクシュタールから治外法権にすること、米国ではガソリン調達のシナジーを迅速に最大化すること、「フードのプライベートブランド(PB)化とアップセル」をクシュタール店舗も含めて一気に展開することが必要です。この点が担保されれば、拒絶する理由はなくなると思います。

  第2は、交渉が膠着するケース。この場合、セブン&アイは懸案の米国での既存店商品売上高を得意のフード・PBで回復させ、それを手がかりに負債調達余力を使い切る程度の次のM&Aをしかけることになるでしょう。その場合、クシュタールも同様の戦略を進めることになりますが、米国コンビニ業界は寡占化の初期段階であるため、この2社の最終的な対決があるとしてもそれは先になることでしょう。

 第3は、資本業務提携。株式を持ち合い、セブン&アイはガソリンの供給を受ける代わりに、商品販売についてはクシュタールにフランチャイジーになってもらうなどの選択肢を検討するかもしれません。規制当局の反応次第ではありますが、資金をかけずに実を取り相性を見るひとつの戦略ではないでしょうか。

  今後のシナリオは不確実ですが、セブン&アイにとってひとつ言えることは、株価が下がればクシュタールによる買収が財務面で容易になるということです。セブン&アイには米国で早急に成果を出さなければならない強力なプレッシャーがかかっているのです。

 これは同社が将来マクドナルドやスターバックスなどのグローバルFCと比肩する立場になるために避けて通れない道です。今後の展開から目が離せなくなりました。

 

プロフィール

椎名則夫(しいな・のりお)
都市銀行で証券運用・融資に従事したのち、米系資産運用会社の調査部で日本企業の投資調査を行う(担当業界は中小型株全般、ヘルスケア、保険、通信、インターネットなど)。
米系証券会社のリスク管理部門(株式・クレジット等)を経て、独立系投資調査会社に所属し小売セクターを中心にアナリスト業務に携わっていた。シカゴ大学MBA、CFA日本証券アナリスト協会検定会員。マサチューセッツ州立大学MBA講師