“大根から自動車まで”なんでも販売するプロがいる。【売れる売れる研究所】の橋本和恵代表取締役だ。橋本さんは約20年、1000か所以上の現場で、あらゆる商品を売りまくってきた。陶芸の専門学校に在学中、「勘違いから始まったアルバイト」をきっかけに販売の道に進んだ彼女は、現在、大企業の店舗での接客から販売員向けの講師としての活動まで、各所から引っ張りだこだ。コロナ禍で苦境に陥るリアル店舗で、販売員は何を心がけ、危機を乗り越えればいいのか。橋本さんの「販売術」を聞いた。(文中敬称略)
二人の営業マンにえびせんべいを21万円販売した極意
橋本は、老舗百貨店で40年のキャリアを有する販売員の方から、『お客様がマスクをされているから、表情を読み取ることができない』という相談を受けることがあった。「大ベテランで、商品に対する知識や販売経験は豊富ですが、マスク接客には困っておられました」売り場に立つ販売員にとって、顧客の表情を読み取ることは最重要課題、と言っていい。だが、マスク着用によって、口元の表情を見ることができず、販売員が顧客の反応を観察し辛くなっているのだ。
そんな中、橋本はデパ地下の売場に立ち、二人の営業マンに一箱約3000円のえびせんべいをなんと、70箱も販売した。当然、橋本も営業マンも、マスクを着けている。
橋本は、営業マンのある「身体のパーツ」に注目していた。
「お客さんの心の声は、実は『額』『手の動き』に表れます。販売員の話を聞いて不快だな、理解ができなかったな、と思ったとき、眉毛が八の字になったり、眉間にシワが寄ったりします。また、お客様が購入するかどうか、考えているときは手を前や後ろに組みます。手を組んでいる時は、販売員は、お客様から質問があった時いつでも答えられる距離をキープしながら、黙っていることも必要です」
実際に、営業マンへの接客を行った時、橋本は約2分半もの間、沈黙し、様子をうかがっていたという。また、眉毛や、眉間に反応があった場合、一旦説明を止め、分からない点があったかどうか聞き直すことも有効だ。客は、自分が理解できない商品を買うことはないからだ。
「売れる販売員は、説明のワンセンテンスが短く、一言投げかけて、表情や手の動きを見る、そのプロセスを繰り返しています。逆に、売れない販売員は一方通行に説明してしまいがち。お客様を観察できてこそ、一流の販売員だと言えます」橋本は、店舗に買い物に来る客は商品に興味を持っているが、どんなモノが欲しいのか、具体的に言葉にすることができていないと分析する。販売員の仕事は顧客の表情や会話を観察し、顧客の「欲しい」を言葉にすることだという。
前述の、橋本の研修を受けたベテラン販売員は「お客様の額を良く観察して、お客様の気持ち、声を察する重要性に気付かされた」とコメントを寄せていた。コロナ禍で、マスク接客などさまざまな制約が課せられているが、販売員の仕事の『根本』は変わらないのかもしれない。
お客様との「つながり」を再確認
コロナ禍において、販売員のもう一つの悩みのタネは、デパ地下など食料品売場での「試食・試飲」ができないことだ。販売員にとっては、客とコミュニケーションを取る手段の一つが奪われたことになる。橋本は、大手飲料メーカーの依頼を受け、密を避けるための「オンライン販売」を店舗で行った。飲料のコーナーにディスプレイを設置し、橋本は本社から、画面を通して接客する格好だ。
「楽しいですよ」「お話ししましょう」など、約50のフレーズをかけてみたが、反応はイマイチで、苦戦していた。客が最終的に橋本に振り向いてくれたのは、「今、私とつながっています」という言葉を投げかけたときだった。「コロナ禍で、人と人との距離が離れてしまう時代。だからこそ、『つながり』という言葉に反応してくださったのではないでしょうか」
「今、私とつながっています」という言葉は、反応率が他のフレーズと比べて2割も高かったという。そして、その「つながり」を意識することこそが、販売員にとって大切だ、と橋本は言う。「販売員は、モノを売る仕事ですが、購入されるお客様にとって大切な人がいて、商品をつくるメーカーの人にも家族がいる。そう考えると、一つの商品に関わった全ての人たちが、つながっていると言えます。販売員は、そのつながりにこそ敬意を払い、感謝の気持ちを持って現場に立って欲しいです」
橋本は、現場に赴く際、必ず一礼をする。「商品を売らせていただいている」という感謝の気持ちを忘れないようにするためだ。
「売る力」のある販売員が増えて欲しい
橋本は、【売れる売れる研究所】での活動を通して「一人でも多く、販売の仕事で生きていける人が増えて欲しい」と願っている。そのきっかけは、彼女がまだ駆け出しの販売員だった頃、同僚だったある女性と出会ったことだった。女性は、結婚し子どもも授かったが、夫が急逝してしまう。シングルマザーで、家庭を養わなければならなくなった彼女は、職に非常に困ってしまった。
「もし、彼女に私と同じくらいの販売力があれば、苦境からすぐに抜け出せたと思うのです。企業は、売れる販売員を求めているので、売る力があればどこでも食べていけます。それに、商品を売れば売るほど、販売員もお客様から良い影響を受ける、と感じています。商品を通して、人生を豊かにしたお客様を見て、販売員自身も明るい未来をたくさんイメージできるのではないでしょうか」
販売力の向上は、客も販売員の人生も充実させることにつながる。「販売力は生きる力になる」そう信じているから、橋本は今日も売場に立つ。