北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けています。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第16回は、ホームセンター・島忠(埼玉県/岡野恭明社長)を奪い合うDCMホールディングス(東京都/石黒靖規社長)とニトリホールディングス(北海道/白井俊之社長)を主役に、「北海道現象の新局面」に迫ります。奇しくも20年前の北海道現象の主役たちが繰り広げる争奪戦。その背景には売り手都合の「業態論」に縛られない、北海道企業ならではの業態革新があるのです。
北海道のトップ企業から日本のトップ級企業へ
1998年に「北海道現象」と呼ばれる急成長を遂げた北海道の上場小売企業5社について、当連載1回目で私は次のように書きました。
<「北海道現象」は一過性のものではなく、20年以上たった現在も続いています><売上規模だけでなく、営業エリアや知名度の点でも「北海道のトップ企業」から「日本のトップ級企業」になったと言えるでしょう><過酷な北海道予選の決勝戦を突破した企業にとって、恵まれた本州市場を制覇する方がたやすいと言えるのかもしれません>
それから1年半。当の筆者の想像を超えた劇的な展開が訪れました。北海道現象5社のうちの2社、DCMホーマックを前身の一つとするDCMホールディングスと、ニトリホールディングスによる島忠の争奪戦です。
最初に動いたのはDCMHDでした。10月2日、島忠との経営統合で合意し、株式市場で公開買い付け(TOB)を実施して完全子会社化すると発表したのです。ところがその後、ニトリHDがより好条件での買収を提案。島忠は11月13日、DCMHDとの合意を事実上白紙に戻し、ニトリの買収提案に応じることに決めました。DCMHDが対抗して条件を引き上げるのを見送ったため、年内にもニトリHDによるTOBが成立する見通しになっています。
結果はともかく、DCMHDが島忠の買収を目指した事情はよく理解できます。2006年、北海道のホーマック(現DCMホーマック)、愛知県のカーマ(現DCMカーマ)、愛媛県のダイキ(現DCMダイキ)の3社が統合して発足したDCMHDには、15年に青森県のサンワドー(現DCMサンワ)、16年に山梨県のくろがねや(現DCMくろがねや)が合流。発足以来、19年2月期までホームセンター業界最大手の座を守ってきました。
しかし20年2月期決算の売上高は4373億円と、わずか37億円の差でカインズ(埼玉県/高家正行社長)にトップの座を明け渡しました。その一因が、国内最大の市場である首都圏の店舗網の弱さにあることは明らかです。DCMHD傘下各社の店舗網は677店(8月末現在)を数えますが、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県に限ると19店に過ぎません。
DCMHDも手をこまぬいていたわけではなく、16年4月には、元業界トップ企業のケーヨー(千葉県/醍醐茂夫社長)と経営統合に向けた協議に入ったことを公表しています。オーソドックスなホームセンターの集合体であるDCMHDにとって、似た性格の店舗を1都3県に72店展開しているケーヨーは相性のよい統合相手に思われました。
ところが1年後、両社は経営統合を断念し、資本・業務提携への切り替えを発表することになりました。資産査定の結果、「システムや人事の統合などに想定以上の負担がかかることが分かった」(久田宗弘DCMHD社長=当時)ことが理由でした。
DCMの買収条件を変えないという判断
自前出店だったニトリが抱える“別の課題”
それだけにDCMHDとしては、島忠との経営統合は何としても成功させたかったはずです。島忠の売上高はホームセンター業界7位の1535億円(20年8月期)で、ケーヨーの1076億円(同2月期)を上回っている上、無借金経営で財務基盤も強固。61店のうち55店までを東京、神奈川、埼玉に展開している。島忠がDCMHD傘下に加わり、売上高6000億円のボリュームになれば、カインズに後れをとっているプライベートブランド商品開発でも挽回を期待できます。島忠との水面下の協議を約5カ月間にわたって重ね、満を持して合意を発表したのは、ケーヨーとの統合の頓挫を教訓にしたからでしょう。
結局、DCMHDは、ニトリHDが名乗りを上げた後も買収条件を変えずに事実上撤退した形になりましたが、これも一貫性のある判断と言えます。DCMHDが設定したTOBの買い付け価格は1株当たり4200円。ニトリHDに対抗するには、少なくとも同社と同じ5500円まで引き上げる必要がありましたが、そんなことをすれば。自らの資産査定の信頼性を否定することになり、DCMHDの株主に説明がつきません。その点は、ケーヨーとの統合を断念した判断からぶれていないのです。「自分たちの提案が最善だと信じるから変えない」というのはDCMHDのプライドであり、当連載の13回目で言及した「伝統の生まじめさ」が発揮されたとも言えるのではないでしょうか。
これに対し、ニトリHDが島忠の買収に突然乗り出してきたのには、かなりの意外感がありました。M&Aを繰り返してホームセンター業界最大手に上り詰めたDCMHDと違って、ニトリHDはこれまで自力成長路線を取り、M&Aで店舗を増やしたことが一度もなかったからです。
ニトリHDが自前の店舗展開にこだわってきたのは、似鳥昭雄会長が師と仰ぐ故渥美俊一氏の教えが大きかったはずです。渥美氏が日本に普及させたチェーンストア経営とは「11店以上の標準化された店舗を本部が一元的に運営するシステム」であり、<画期的な経営的効用が生まれてくるのは、標準化された店舗(正しくは商品提供)が200店以上出そろってからのことである>(『チェーンストア経営の目的と現状』p10)。
似鳥氏は、渥美氏の教えを忠実に守って「標準化された店舗」を自力で増やしてきたわけですが、これには時間がかかります。ニトリHDの200店到達は09年秋なので、創業から42年を要したことになる。企業として成長し、資金力を増すのに従い、出店ペースも急加速した半面、大市場の首都圏では出店適地がどんどん減っているという別の問題に直面しています。
ニトリ、「異物」島忠取り込んだ後も、同じ成長軌道を描けるか
ニトリHDは先の中間連結決算で過去最高益を達成、21年2月期通期でも売上高7026億円(前期比9.4%増)、営業利益1329億円(同23.7%増)と34期連続増収増益を見込んでいます。このまま自前展開を続けても問題ないように思えますが、実はそう言っていられない事情がある。ニトリHDは現在、2度目の30年計画の途上にあり、20年目の22年度(23年2月期)の目標として売上高1兆円を掲げているものの、当初の見立てほど中国での売り上げが伸びておらず、今のペースでは達成が厳しいのです。
似鳥氏が最初の30年計画をつくったのはまだ20代だった73年のこと。03年2月期までに「全国100店舗」「売上高1000億円」「東京証券取引所1部上場」を達成するとの目標を設定、すべて前後1年以内に達成し、そこから「ニトリ常勝神話」が始まりました。有言実行の経営者として知られる似鳥氏にすれば、自ら公言した計画が未達に終わることだけは何としても避けたいというのが本心でしょう。
だからこそニトリHDは、島忠の純資産額を上回る2100億円の買収金額を投じてまで、首都圏60店舗、売上高1500億円を一挙に手に入れることを選んだ。要は「時間を買う」ことが今回のM&Aの直接的な動機と考えられます。時価総額2兆4700円のニトリHDにとって、高すぎる買い物とまでは言えませんが、島忠という「異物」を取り込んだ後も、これまでと同じ成長軌道を描けるのかが気になります。
DCM元社長をニトリ顧問に 盟友関係にあったニトリとDCM
連載1回目で解説したように、98年の北海道現象とは「不況下で各業態のトップ企業に売り上げが集中し、独り勝ちする現象」でした。当時、北海道におけるホームセンター業態トップのホーマック、家具・インテリア量販業態トップのニトリとの間に競合関係は存在せず、むしろ両社は志を同じくする「盟友」だったと言っていい。実際、当時のホーマック社長で後にDCMHDの初代社長に就いた前田勝敏氏が07年、取引先の不祥事に絡んで退任を余儀なくされた際には、ニトリがすぐさま顧問に迎え入れたという関係にありました。
それでも両社は、志が同じだったがゆえ、いつかは戦う運命にあったと言うべきかもしれません。似鳥氏は若き日の米国視察でチェーンストアが人々の生活の豊かさを支えていることを肌身に感じ、「日本人の暮らしを豊かにしたい」と奮起。最初の30年計画をつくったと言います。一方、ホーマック創業者の故石黒靖尋氏は開業当初、お客から要望のあった商品を全てメモに書き出して品ぞろえの参考にしました。「ホーマック(Homac)」は「Home Amenity Center」すなわち「暮らしを快適にする店」の略称であり、似鳥氏の「日本人の暮らしを豊かに」と創業の原点は同じなのです。
暮らしを豊かに、快適に-との発想で、互いが取扱商品を広げ、業態の壁を超えようとした結果が今回の争奪戦だったのではないか。相手の島忠が家具製造を祖業とし、ホームセンターにウイングを広げた企業であるという点は象徴的です。DCMHD、ニトリHDのどちらにとっても、顧客の暮らしを支える新たな商品を無理なく広げる大きなチャンスだったわけです。
改めて思い出されるのが、連載9回目で取り上げた岡田卓也イオン名誉会長の至言です。「北海道現象の本質は業態の改革だ。ツルハは『薬屋』ではないし、ニトリも『家具屋』の呼び方ではくくれない。そもそも『何々屋』と呼ばれるような店は、売り手の都合でできた業態だ。北海道で成長している店は生活者の発想でできた新しい業態と言えるだろう」。売り手の都合でできた業態にこだわらず、お客の視点で改革を続けてきた者同士だからこそ、戦わざるを得なかった-。北海道現象の一つの到達点という気がしてなりません。