日本にコンビニエンスストアが登場して半世紀。これまで数々のチャレンジ、変革により、現在は生活者から強い支持を得るにいたっている。本多コンサルティング(東京都)の本多利範氏は「中でも『セブン-イレブン』が小売業界に与えた影響は大きい」と話す。
本稿は連載「教えて本多利範さん!」の第8回です。
日本流コンビニ常識破りの50年
高度経済成長期だった日本で1970年代初頭、コンビニが産声を上げる。
イトーヨーカ堂は1973年11月、アメリカで4000店舗の小型店を展開するサウスランド社(現7-Eleven,inc.)と提携してヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を設立。同社は翌74年5月、東京・豊洲に「セブン-イレブン」1号店をオープンした。
その後、1975年6月にローソンの1号店がオープンしたほか、1978年3月、西友ストアー(現西友)がフランチャイズ・システムによるコンビニエンスストア事業(ファミリーマート)を開始。1980年7月にはミニストップ1号店が開業している。
当時の小売業は大型店舗の時代であり、規模のコンパクトさからコンビニは「大きい店に勝てるはずがない」と否定的な声も少なくなかった。しかし数々のチャレンジ、変革により、現在は生活者から強い支持を得るにいたっている。この半世紀を振り返れば「日本流コンビニ常識破りの50年」と言っていい。
その中、業界を牽引してきたのは、社会の常識を打ち破り続けてきた「セブン-イレブン」である。
その一つは営業時間。開業当初、朝7時から夜11時までの営業だったが、1975年、福島県で24時間営業を開始、「いつでも開いている便利なお店」としての認知を広めていった。
商品面でも、常識を覆す日本流の品揃えを行った。おにぎりはその一例だ。当時は家庭料理だったが、1970年代後半、「セブン-イレブン」は食べる直前に自分で海苔を巻く手巻きおにぎり「パリッコフィルム」を考案。発売当初の販売数は1店舗当たり1日2〜3個だったが、パリパリとした食感が話題となり、家庭とは違うコンビニならではのおにぎりが世の中に定着していった。
おでんも同様だ。「家庭の味」を手軽に食べられるファストフードとして販売したのは「セブン-イレブン」が最初である。1979年、おでんウォーマーを開発すると同時にレジカウンターでおでんを展開した。その後も、味を追求した商品開発により、「セブン-イレブン」を代表する商品に育っている。
効率的な配送を構築
半世紀にもわたり成長を続けてきたコンビニ。これほど長期にわたり伸び続けた業態はほかにない。中でも「セブン-イレブン」は、消費者ニーズや経営環境などの変化へ対応するため「業務改革」を徹底し、業界に与えた影響は大きい。
変化に対応し、小さな店舗で商品を効率的に展開するためには、きめ細やかな単品管理と発注が不可欠になる。その中、情報システムを構築、POSをマーケティングに初めて使用したのは「セブン-イレブン」だった。
1978年、コンピュータシステムを活用した発注端末「ターミナルセブン」を開発。店舗の発注データは同システムを通じて本部へ集約する体制を構築した。また本部からベンダーへ正確に情報を届けるため、1979年には専用ネットワークによるデータ送信をスタートしている。
物流改革も忘れてはいけない。まさに「物流イノベーション」とも言える取り組みにより、効率的な配送の仕組みを構築したのも「セブン-イレブン」である。
まず手がけたのは、発注・納品単位の小口化。小規模な店舗にとって在庫を適正に抑えるために不可欠な施策だった。さらに東京・高島平に倉庫を設け、そこに販売する商品を集約、共同配送をスタートさせた。これらにより創業当初、1店舗当たり70台/日も必要だった配送車両は9台と大幅に削減することに成功した。
インフラとしての機能を付加するため、銀行をつくったのも「セブン-イレブン」である。現金の手持ちがない状態で終電を逃した人はじめ、ピンチを救われた人は多いはずだ。
これらのように数々の取り組みで、支持を得てきたコンビニ。だが現在、この業態は岐路に立っていると私は見ている。たとえば加工麺の価格は物価高騰で、現在、大半が500円以上。所得水準の低い人が利用するには抵抗がある。価格のほかにも、品揃えについても不満を感じる生活者が増えているのだ。
単身世帯が全体の4割、「買物難民」も1000万人になると言われる現在の日本。その中、次の50年を生き延びるためにはコンビニがいかに商品、サービスを変えていけるかが重要だ。
本多利範さんの書籍「お客さまの喜びと働く喜びを両立する商売の基本」
定価:1650円(本体1500円+税10%)
発行年月:2022年03月
ページ数:276
ISBN:9784478090787