2021年12月に日本から撤退した、米国アウトドアブランド「エディー・バウアー」。その記憶もまだ残る中、早くも今年8月、「2023年春夏シーズンより国内での本格展開を開始」とのニュースがアパレル業界を驚かせた。
その再始動の“仕掛け人”は、岐阜県岐阜市に本社を置く「水甚」。会社名こそ初めて聞く人も多いかもしれないが、「ファーストダウン」「アーノルド・パーマー」などのブランドを日本国内で展開する、陰の実力アパレルメーカーだ。今回、異例のスピードで日本再上陸を果たしたその舞台裏と戦略を、中村好成社長と中村有孝取締役に聞いた。
本国撤退の報を聞き、真っ先に名乗りを上げる
あのエディー・バウアーが日本から撤退……その報せに複雑な思いを抱いた40~50代のファンも多かったことだろう。1994年の自由が丘店からスタートし、国内に56店舗を展開した同ブランドは「一部対象商品を5点500円で販売」などの売り切りセールを実施。昨年12月末、27年の歴史に幕を下ろした。
しかし、そのエディー・バウアーは驚くべきスピードで再び日本に戻ってくることとなった。2022年8月、水甚が同ブランドを2023年春夏シーズンより国内で展開することを発表したのだ。
この異例ともいえる「スピード再上陸劇」までの経緯を振り返っておきたい。まず、経営難に陥っていた米国エディー・バウアーを、2021年5月にブランド管理会社「オーセンティック・ブランズ・グループ(ABG)」が買収。同ブランドはABGの管理下に置かれることになる。
その後、エディー・バウアーの日本法人「エディー・バウアー・ジャパン」が日本から撤退すると報じられる。その情報を聞きつけ、ライセンス権獲得に真っ先に名乗りを上げたのが水甚だ。ブランドビジネスに強みを持つ伊藤忠商事を頼り、ABGと交渉。結果、ABGと伊藤忠がマスターライセンス契約を締結し、さらに伊藤忠と水甚がサブライセンス契約を結ぶスキームで合意した。
「ABGと太いパイプを持つ伊藤忠がサポートについてくれたことで、交渉はスムーズに進んだ」。エディー・バウアー再上陸の“仕掛け人”である中村好成社長はこう語る。
ちなみにABGといえば、「ブルックスブラザーズ」「バーニーズ・ニューヨーク」、同様に再上陸を発表したばかりの「フォーエバー21」などのブランド管理会社でもある。
アウター製造技術を活かしたブランドビジネスに強み
1949年に岐阜県羽島郡笠松町で創業した水甚は、カジュアル衣料全般を企画、製造するアパレルメーカー。スラックス工場からスタートし、イオンなどの総合スーパー(GMS)やしまむらなどのプライベートブランドのOEM生産などで成長してきた。とりわけダウンジャケットをはじめとするアウター衣料の製造技術に強みを持ち、他のアパレル企業に羽毛の販売も行っている。
加えて、同社の特徴は「ファーストダウン」「アーノルド・パーマー」「ヘンリー・コットンズ」など5つのアパレルブランドを、卸売と小売の両面で展開するブランドビジネスにある。
1997年、米国のストリートシーンから人気に火がついたアウトドアブランド「ファーストダウン」とライセンス契約を締結。同ブランドのダウンジャケットは当時のストリートファッションにブームをもたらした。10年後の2006年には同社から商標権を取得している。
2020年には、経営破綻したレナウンから引き継ぐ形で「アーノルド・パーマー」のライセンス使用権を獲得。全国に70店舗の直営店を展開し、ECも強化するなど、同ブランドを再び軌道に乗せている。
そのブランドビジネスを主導してきたのが、2005年に創業者からバトンを受け継いだ現中村社長だ。「製造品質の強みは大事にしたいが、OEMの受注生産だけでは時々のトレンドや発注元の意向に左右されてしまう」との危機感から、ブランドの製造から販売までを手がけ、自社でコントロールできるブランドビジネスに乗り出し、その比重を高めてきた。
このようにアウター類の技術を活かしたブランドビジネスを経営の主軸とする水甚にとって、エディー・バウアーは魅力的なアウトドアブランドの一つだった。
1920年に創業したエディー・バウアー。1936年には世界初のダウンジャケット「スカイライナー」を開発。1953年に発表した「カラコラムダウンパーカー」は、K2の初登頂に挑戦する米国人登山隊を支えるなど、実は米国最古のアウトドアブランドとしての歴史がある。
「102年の歴史は、お金では買えない価値がある。ダウンジャケットを得意とする当社との親和性も高いと思った」(中村社長)
「カジュアル路線」から「気軽だが本格的なアウトドア」へ
そのような経緯でエディー・バウアーとのライセンス契約にこぎ着けた水甚。「これまでエディー・バウアー・ジャパンが展開してきたのとは異なるアプローチを考えている」と、息子の中村有孝取締役はそのリブランディング戦略の一端を明かしてくれた。
従来のエディー・バウアー・ジャパンが日本で展開してきたのは、あえてアウトドア色を薄めたカジュアルウェア路線だ。ところが、実は本国のアメリカではプロの登山家と共同開発したアウトドアライン「ファーストアセント」など、本格的なアウトドアブランドとして認知されている。
「現地の店舗も訪れたが、店内にダウンジャケットの防寒性を体感できるアイスボックスを置くなど、かなり本格志向の商品展開をしていることに驚いた」(中村社長)
再始動にあたっては、その本国のブランドイメージを活かして、これまでのカジュアル路線よりは高付加価値のアウトドアラインを展開する方針だ。以前のエディー・バウアーのイメージが強くない20代~30代の若者やファミリー層に訴求していく。
「タウンユースを意識しながらも高い機能を備えた、本国のクオリティに負けない製品を企画・開発していく。また、アパレル以外のキャンプ用品も本国からセレクトし、気軽だが本格的な『ファミリーキャンピング』のイメージを発信していきたい」(中村取締役)
「2人だけで意思決定」がスピード経営を生む
それにしても、あらためて驚かされるのは、水甚のあまりにもスピーディな経営判断だ。エディー・バウアーのみならず、2020年の「アーノルド・パーマー」のライセンス権交渉も「レナウンが経営破綻を発表したその日に電話した」という。
新たなブランドの取得に乗り出すかどうかの意思決定は、基本的に中村社長と、中村取締役のみで行う。「2人で『どうする?』と言いながらその場で決めています。だから早いんですよ」と中村社長は笑う。
今も創業の地・岐阜に本社機能を構え、商品の企画・デザインも岐阜にスタッフを揃える。また、配送センターも自社で運営する。MDから物流まで内製化し一気通貫で行うSPA体制が、同社のブランドビジネスを支えている。岐阜のほかに中国、ミャンマーにも生産拠点を置き、今年10月からは新たにベトナムの合弁工場が稼働した。
「2023年の8月末までには、国内主要都市に5店舗の直営店をオープンさせたい」と意気込む中村社長。その技術力とリブランディング戦略で「新生・エディー・バウアー」は来夏、どんな姿を私たちに見せてくれるだろうか。
「この間、映画『ドント・ルック・アップ』を観ていたら、主演のレオナルド・ディカプリオがエディー・バウアーのジャケットを着ていた。それだけ、本国での人気はまだ根強い。その本来のブランド力を活かせれば必ずいい商品をお届けできる」(中村社長)