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アルペンと“冬の女王”広瀬香美の意外な関係 TVCMの広告費をプラスマイナスゼロにした方法とは?

アルペン(愛知県/水野敦之社長)といえば、いまや東のゼビオホールディングス(福島県/諸橋友良社長)と全国を二分する勢力を持つスポーツ用品販売最大手だ。2022年春には、新宿駅東口ユニカビルに地下2階、地上8階という念願の都市型旗艦店「Alpen Tokyo」を開業する。

i-stock/MaximFesenko

異例の広告費プラマイゼロ その背景にあったものとは

 しかし遡る1990年代前半は、多くの広告費を捻出できるほどには財務も潤っていなかった。「インパクトのあるTVCMを打ちたい。けれども、有名なアーティストやタレントを起用すると3000万、5000万円の費用がかかる」。水野泰三取締役名誉会長(当時社長)は、その欲求のはざまで悶々とした日々を過ごしていた。

 ある日、無名のシンガーソングライターの楽曲を耳にして、「これは!」とピンと閃くものがあった。歌声の主は広瀬香美。その時点で、アルバム1枚とシングルCDを2枚出してはいたが、まったくといって売れていないアーティストだった。

 早速CD制作会社であるビクター音楽産業(現:ビクターエンタテイメント)と所属芸能事務所のオフィスサーティーに楽曲提供をお願いしてみた。しかし両社は、広瀬さんの新譜発売に消極的だった。理由は簡単に推測できた。過去のシングル2作で連敗を喫しているためだ。そこで「アルペンも製作費を負担する」と申し出る。3社で費用を折半して新しいCD制作に着手し、彼女を再度売り出すことにしたのだ。

 1993年12月1日。広瀬さんは、3枚目のシングル曲「ロマンスの神様」をリリースした。これをアルペンのCMソングとして流すと、キャッチーなメロディと抜群の歌唱力が、すぐに若者の心をとらえた。売上枚数175万枚を超える大ヒットとなり、1994年度のオリコン年間順位は、 Mr.Childrenの「innocent world」に次いで第2位にランクインするに至った。

 CDのミリオンヒットによって、制作費を負担したアルペンにもまとまったお金が入ってきた。通常TVCMは一方的にコストがかかるものだが、このシーズンのアルペンは、逆にプラスになるというTVCM史上において極めてまれなケースとなった。結局、その年の広告費はプラスマイナスゼロだったという。

WIN-WINの関係が生み出した“冬の女王”

 締めてみれば、広瀬さん、CD会社、芸能プロダクション、アルペンの4者がWIN-WINの関係になっていた。その後、広瀬さんは、「幸せをつかみたい」(1994年)、「ゲレンデがとけるほど恋したい」(1995年)、「DEAR…again」(1996年)、「真冬の帰り道」「promise」(1997年)、「ストロボ」(1998年)など、次々とウインターソングをヒットさせ、あっという間にスターダムに駆け上がった。いつしか“冬の女王”と呼ばれるまでになった。

 水野名誉会長は、「アルペンの場合は、良いと思われる曲を選んでCMでたくさん流すから売れるのです」と振り返っていた。実際、1996年のCMソングである「DEAR…again」は、広瀬さんが1993年に出したアルバムの中の1曲に過ぎなかったが、水野氏は「素晴らしい」と実感し大きく評価。若干のリメイクを施してシングル曲としてリリースしたところ、80万枚の販売に達した。

 その後アルペンには、さまざまなCD会社や芸能プロダクションから楽曲の持ち込みがあった。広瀬さんを交代させるわけにはいかないので、「kissmark(キスマーク)」など別ブランドのイメージソングを担当してもらい、そこからアルペンのTVCMはさらなる好循環をつくりだしそれにともないアルペン自体の業容も拡大していった。