メニュー

4種のアプリを駆使し、ナイキが顧客との”ディープな関係”を極める理由

D2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)という言葉が浸透し、国内でも多くのD2Cブランドが誕生している。その一方で単なる「直販化」であったり、サステナブル(持続可能性)の潮流に乗っかっただけで”ストーリー性”の薄い商品を販売していたりといったケースも多い。「消費者と直に取引する」という観点から見れば、それらを「D2Cにあらず」と全否定することはできないのだが、成功しているD2Cブランドは「デジタルを活用した顧客とのつながり」を軸とした洗練されたビジネスモデルを展開している。本連載第4回目は、D2Cビジネスで成功を収めているナイキ(Nike)の戦略について解説する。

今や全売上の約4割! 成長著しいナイキのD2C事業

ニューヨークのナイキの旗艦店

 2017年6月15日、ナイキの会長兼社長CEOであるマーク・パーカー氏は、「スポーツの未来は、進化する消費者のニーズ(への対応)にこだわる企業によって決定されるだろう」と述べ、「Consumer Direct Offense」という名の組織計画を発表した。

 「Consumer Direct Offense」はカテゴリー、地域、市場、製品、マーチャンダイジング、デジタル、D2Cを担当する各チームを統合した新体制の組織だ。そしてその戦略として「トリプル・ダブル戦略」(2倍のイノベーション、2倍のスピード、2倍の消費者との直接的つながりを創出するという意味)が発表された。

 ナイキの目下の業績は好調だ。2017年5月期には344億ドルだった売上高は、21年5月期には31%増となる445億ドルにまで増加。その成長基調のなかでとくに気を吐いているのがD2C事業の「ナイキダイレクト(Nike Direct)」で、同期間に売上高は91億ドルから164億ドル(約80%増)の成長を示している。今や売上全体の約4割を占める基幹事業の1つとなっているのだ。

 ナイキはD2C事業の拡大を、モバイルアプリを中心とした顧客接点の強化を図ることで実現してきた。その一方で20年8月にアマゾン(Amazon.com)傘下の靴専門ECザッポス(Zappos.com)、21年3月には米百貨店大手メイシーズ(Macy’s)などとの取引を停止するなど、販売パートナーを絞りながら自社で着々とD2C化を進めているのだ。

顧客と「深くつながる」ための4つのアプリ

「SNKRS」では毎日、限定商品を含む新作が発売される

 ナイキのD2C戦略の根幹をなすのが前述の「Consumer Direct Offense」という戦略なのだが、これについてもう少し詳しく見ていこう。同戦略のねらいをシンプルに表現するならば、「顧客と深くつながり買い方を変える仕組みをつくる」ということである。重要なのは「深くつながる」という点であり、デジタルを介して「顧客リストを集める」こととはまったく異なる。ナイキは顧客接点をより深いものにするべく、「SNKRS」「NRC」「NTC」「NIKE APP」と4つものアプリを提供しているのだ。

 このうち、スニーカーやファッションが好きなユーザーに向けてリリースされたのが「SNKRS」だ。筆者も利用しているが、このアプリによってスニーカーの購入頻度が明らかに増えたと感じる。というのも、SNKRSでは毎日のように新作が発売され、コラボ商品や予約限定品なども多いためだ。新作は毎朝9時に発売されるのだが数分で売り切れてしまうことも多く、筆者も何度も悔しい思いをした。それでもアプリ上のタイムラインに流れてくる新作情報をチェックしては、「今度こそ」と新作ゲットをねらってしまうのだ。

 筆者は前々から”スニーカーフリーク”だったわけではない。「SNKRS」と出会う前は、スニーカーを買おうか考えること自体、せいぜい月に1~2回程度であった。それが今ではほぼ毎日「新作を買うか買わないか」について悩むようになり、購入を決断すれば朝9時前からスマホを握りしめているわけだ。スニーカーの買い方が一変したと言える。

 「SNKRS」は「情報への接触頻度が上がる」というデジタルの強みをうまく生かし、単品を毎日訴求している。これはスニーカーが欲しくなって靴屋に行く、という従来の買物体験とは一線を画すものだ。靴屋の壁面にずらりとスニーカーが並んでいる店舗は入っただけでワクワクするものだが、靴は直感的に好き嫌いを判別しやすく、ECサイトでも同様の体験を提供することはできる。

 しかし「SNKRS」が提供する体験はまったく別のものだ。店舗やECサイトで「選ぶ」という体験を省き、その代わりに商品に関する情報を毎日タイムラインで「届ける」のだ。その情報にはハイブランドや著名デザイナーとのコラボレーション、プロスポーツ選手の使用モデル、サステナブル素材の利用など、D2Cブランドに欠かせない「共感ポイント」が必ず含まれているのだ。「いろいろな商品を比べてみた結果から選ぶ」のではなく、「これが欲しい」という強い欲求を創出する――。これが「SNKRS」のマーケティング戦略である。

 このほか、「NRC」(ナイキ・ランニング・クラブ)「NTC」(ナイキ・トレーニング・クラブ)は、ナイキの商品を購入した後にランニングやトレーニングを続けるために開発されたアプリだ。「NRC」では買ったランニングシューズを登録し、どこを、どれくらいのスピードで走ったかが記録され、「NTC」ではトレーニング動画を視聴しながら、ワークアウトの目的や頻度などがその都度記録されるというもの。ユーザーにとっては「タイムが縮まる」といったパフォーマンスの向上が可視化されることで、ランニングやトレーニングを続けるモチベーションにつながるというメリットがあり、ナイキにとってはユーザーのワークアウトが習慣化すればするほど関連商品が売れていくという利点が享受できるのだ。

購買体験を根本から変えた「Nikeアプリ」の凄み

店頭でもアプリの存在とメリットを強く訴求している(筆者撮影)

 そしてオムニチャネルでの購買体験を変えたのが「Nike App(ナイキアプリ)」であり、旗艦店舗「House of Innovation」を中心とした直営店である。この2つによってどのように購買体験が変わったのかを一言で言い表すのは難しい。なぜならば、そこで得られる体験はその時々のニーズによって多種多様に変化するからだ。

 例えば「新しくスポーツを始めるので一式選んで欲しい」といった場合は、「エキスパート・セッションズ(Expert Sessions)」というサービスをアプリから予約すれば、店舗スタッフから一定時間枠でコンサルテーションを受けることができる。「ECで購入した商品を好きな時間に受け取りたい」というときには店頭に置かれた専用のピックアップロッカーを解錠するだけ。レジに並ぶのが煩わしい時にはアプリを使ったセルフ決済サービスを利用することもできる。このように、その時々の状況に合わせた買い方がアプリを介して選択できるのである。

 しかしそれ以上に、筆者がNike アプリにおいて最も素晴らしい点だと感じているのが、店頭での購買体験だ。売場で気になるシューズを見つけたら、商品に付いているQRコードをアプリで読み込むことで店頭在庫をすぐに確認できる。試し履きしたい場合もアプリを介して店舗スタッフに依頼でき、決済も前述のとおりアプリで完了できる。

 在庫があるかを店員に尋ね、時間をかけて調べてもらった結果在庫がなかった際のガッカリ感は非常に大きい。ほかの商品を探す気すら薄れてしまう、といった体験をお持ちの方も多いのではないだろうか。店員にとっても、サイズごとの在庫状況を聞かれたり、その都度探しまわったりすることは時間の無駄であることは明らかだ。

 顧客にとっても店員にとっても”悪しき体験”はデジタルツールで代行し、店員はそのぶんの時間を接客に時間を割けるのだ。購買体験のすべてをデジタル化することはできない。例えば、試着した顧客に対して「サイズはちょうどいいですね」「お似合いですね」といった何気ない会話は、よりよい購買体験につながるものである。

常に「ナイキの商品が欲しい」という状態をつくり出す

 このようにナイキはアプリを軸としたD2C戦略により、顧客と深くつながり、買物の仕方を一変させてきた。強固なつながりを持った顧客は「靴が欲しい」のではなく、「ナイキの靴が欲しい」のであり、日頃の生活や運動の場面でもナイキという存在が欠かせなくなるのだ。

 こうした話をすると、「ナイキにはそもそも大きなブランド力があるから、顧客と深くつながれるのではないか」というご指摘をいただくことも多い。しかしナイキは自身のブランド力を、「競合ブランドと比較されたうえ」ではなく、最初から顧客と直接つながることで「競合と比較すらさせない」レベルまで持っていったということをご理解いただきたい。ブランディングはマスに対してだけ行うものではない。顧客と深くつながることでブランド力を高めるという、D2Cのお手本のような手法で、ナイキは成長を続けているのだ。

 顧客とつながり直にブランディングを展開することで、常に「ナイキの商品が欲しい」という状態をつくり出す――。この戦略は、D2CやOMO(オンラインとオフラインの融合)といった枠組みにとどまらず、全社を挙げたCRM(顧客関係管理)戦略という要素も強いと言えるのかもしれない。