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川野清巳ヤオコー社長の「明日に架ける言葉」(1)

ヤオコー(埼玉県)の川野清巳社長がこの3月31日を持って社長を退任する。4月1日付で川野澄人副社長にバトンタッチすることになった。3月10日には自身の保有するヤオコー株式21万5000株(7億9000万円〈時価〉相当)を役員や従業員を贈与すると発表。周辺では「従業員からも厚く信頼される稀有の経営者だった」と高く評価されている。このBLOGでは、今日から3回にわたり、3月21日にザ・プリンスパークタワー東京で開かれた「ヤオコー社長就任披露および感謝の会」における川野清巳社長の発言をまとめた。(談:文責・千田直哉)

 

 すでに発表しているように3月31日でヤオコーの社長を退任する。後任は川野澄人副社長だ。私は6月の株主総会で全ての任を退くことを決めた。

 

 本日は私の「ヤオコー人生」を話すことによって、少しでもヤオコーのあり方や目指してきたことを理解してもらえればと思う。

 

 私は65年前に八百幸商店で生まれた。埼玉県小川町近辺では、その頃でももっとも繁盛していた食料品店だった。

 私の祖父が社長で父の荘輔は魚の担当であり、母のトモが全般を仕切っていた。その父は私が13歳の時に他界した。私と父との思い出は、1年間に数日しかない父の休日に、後楽園球場に巨人戦の野球観戦に連れて行ってもらったことだ。

 現在、私が熱烈な巨人ファンであることは、その影響だと思う。

 

 もう一つの思い出は、父が癌を患い、余命が短いのに、母は店を守らなければいけないがゆえに、父の看病にも行けなかったため小学生の私が日曜日ごとに、豊島区巣鴨にあった癌研に小川町から通ったことだ。子供なりに商売の厳しさと、なぜ休日に私が行かねばいけないのかという不条理を恨めしく思ったものだ。

 父の臨終には母も立ち会うことができた。

 亡くなったのは12月16日。年末商戦や縁起の問題などを考えて、表向きには死を伏せて、葬儀は年明けにすることにした。私は、そんな父や母が可哀そうに思えて仕方なかった。

 

 私と兄の川野幸夫会長とは6歳違いなので、父亡き後は兄が父親代わりをしてくれた。

 そして、私は母の後ろ姿を見ながら育ってきた。

 母は大変な苦労をしてヤオコーの基礎をつくり、発展に貢献してきた。それはまるでNHKドラマの『おしん』のようであった。

 母は兄に対しては、会長と社長という関係で、ある意味ではライバルのようだった。

 

 一方、私は母とは会長と専務という関係だったが、いくつになっても子供扱いされた。いつなんどきも母は母親のままだった。

 40歳を過ぎても私が体調を崩すと必ず自宅を訪れ、「仕事は一生のことだから、完治するまで休みなさい」と言ってくれた。具合が悪くて病院に行こうとすると、自分の体調が良くないにも関わらず付き添ってくれた。

 私の妻からすれば、「この親子は、いったいどうなっているんだ」と訝しく思ったに違いない(笑)。

 

 仕事の上では、母からたくさんのことを教えてもらった。母の希望は、「兄弟仲良く、企業運営をしてヤオコーを発展させてほしい」というものだった。

 

 兄は経営全般や理念や哲学。弟の私は営業に向いていると考え、役割を分担させた。

 私が、その母から一番強く学んだことは、「儲ける」ということ。つまり利益に対しての執念だ。

 その前提条件は、「理にかなった商売で」というものだ。

 儲からなければ、社員を大事にすることができない。世の中に貢献できない。

 自分たちの信念を貫くにしても余裕がなくなってしまう」とよく言っていた。

 母の考え方である「商いのこころ」は『ヤオコーを創るために母がくれた50の言葉』(産経新聞出版)という単行本として上梓している。

 

 それとは別に、母から繰り返し耳にタコができるほど言われた中で私が強く印象に残った言葉を述べておきたい。

 

 ひとつは、「入るを量って出づるを制す」。

 ひとつは、「爪で拾って箕(み)でこぼす」。

 ひとつは、「私たちの商売はラーメン1個を売って1円の儲けだよ」。

 

 もうひとつ。これは少し違う意味合いになるが、「酒は買うべし、小言は言うべし」、という言葉も印象に残っている。

 

 そして、母はそのことを実践していた。

 母のようにはいかなかったが、私は私なりに母の教えを私自身や企業の指針、DNAに組み込んできたつもりだ。

 

 晩年、企業規模が大きくなるにつれ、こうした考え方が甘くなった、薄くなったとこぼして、私は母から良く叱られた。私も反省と危惧を繰り返した。

 

 私どもの小林正雄専務を始めとする営業部門の役員は、全員が母と一緒に仕事をしてきた人たちだ。この後も、会長、新社長と一緒になって、そのDNAをしっかり守り、受け継いでくれると確信している。

 私は、母や兄、そして小林専務を始めとする本当に多くの社員に支えられて、どうにか役割を果たすことができた。

 また、今日は、私を支えてくれたOB・OGの方たちもたくさん出席してくれている。ありがとうと言いたい。