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ファーストリテイリング 柳井正会長兼社長 インタビュー①

 『チェーンストアエイジ』誌は2012年4月1日号が創刊1000号となります。これを記念して同号では、「現代のゲームチェンジャー」という内容で、ユニクロ(山口県)の柳井正会長兼社長のほか、10人の流通変革者に登場していただきます。

 その発刊に先駆け、本日から3日間にわたって、柳井正氏のインタビューの模様をBLOGに掲載いたします。以下の掲載は、4月1日号の誌面の内容は全く異なるものですので、同号ともどもぜひご一読ください。(文責:千田直哉)

 

私 柳井さんの「《ふだんの服》のSPA(製造小売業)型専門店」という事業は、いつごろに思いついたものなのですか?

 

柳井 アパレル販売は、23歳の時から現在の63歳になるまでずっと従事してきました。だからこの事業に関しては、さまざまなものから学び、誰よりもよく知り、ずっと考え、実践してきたという自負があります。

 そして、若いころは、われわれの業界について、どうなるのか、どうするのかに関心があり、自分の将来も含めどうすべきかを念頭にビジネスモデルを模索してきました。

 ところが当時は、山口県宇部市に本部を構えていた片田舎の零細企業でしたから、日本では僕のような人間には誰も会ってくれません。

 そこで欧米のアパレルチェーンがソーシングをしていた先の香港を頻繁に訪問したのです。70年代後半から80年代にかけての時期は、SPAとしての「リミテッド」や「GAP」「Next」などの黎明期。香港勢では、「ジョルダーノ」「G2000」「ボッシ-ニ」…。何度も訪れるうちに、香港の商売人や工場経営者の知人ができ、いろいろ教えてもらい、「グローバルで商売する」ということがどういうことなのか、分かってきたのです。

 

私 当時の日本は百貨店アパレルの最盛期でした。メーカーから仕入れて売る、セレクトショップが隆盛を誇っていました。

 

柳井 そう。だから、まず日本で先行するチェーンを超えるためには、欧米の巨大チェーンをもっと勉強しないといけないと考えました。

 香港に行って、もっとも衝撃を受けたことのひとつは、その発注量です。

 「GAP」のシャツのエージェントのような人に聞くと、ロンドンストライプの1色のシャツの1店舗の発注量が500枚だった。《1店舗で500枚》。驚くとともに、興味と意欲がわきました。

 

私 現在のビジネスモデルは、そのころに生まれたものなのですね?

 

柳井 そうです。もともと漠然と起業家になりたいとは考えていました。そして勉強をしていくうちにビジネスモデルが具体化していったのです。その到達点が明快だったのでぶれずに進むことができたと考えています。

 

私 それが「《ふだんの服》のSPA型専門店」チェーンでした。しかし、日本には、あの当時、カジュアルウエア自体がありませんでした。

 

柳井 そうです。日常着は、スーツやジャケット&スラックスからカジュアルウエアに代わるだろう、という機運があるだけでした。

 しかも、カジュアルウエアは若い人の流行服とみられているようなところがあって、市場規模は小さく潜在性は少ないと思われていました。

 でも、僕は渡米して、Tシャツ、ジーンズに始まるカジュアルウエアの市場の大きさを目の当たりにしていました。しかもスーツ専門店チェーンは、ほとんど消滅しているような状態でしたので、僕はカジュアルウエアのチェーンを展開したいと考えるようになった。

 それで「マークス・アンド・スペンサー」や「GAP」の先例を学びながら、成長の定石を研究しました。

 

私 もう明確なビジネスモデルのイメージがあって、そこに行こうという話ですね。

 

柳井 ええ。たぶん、ほかの方には、明確なビジネスモデルはなかったのだと思います。

 

私 それで、他社を右顧左眄することなく、とにかく猛進していった。

 

柳井 猛進はしませんね。われわれはお客さまがどういうふうに変わるのか、われわれに対する評価がどういうふうに変わるのか。あるいは到達すべき点に行くために、何をやったらいいのかというのを、常時、考えて修正しながら取り組まなければいけないからです。

 ただ、同じころ、ほかのチェーン店は競合するとこばかりを見ていた。その点が大きな違いだと思います。

 

私 ビジネスモデルと大志を持って、常時考える。

 

柳井 それが一番です。何のために商売をしているのか? それがない店舗やチェーン、ブランドをお客さまは信用しないでしょう。

 日本のチェーンストアの一番悪い点は、ぶれることです。あっち行ったり、こっち行ったり。結局は、そういう大志とか、信念とか、自分のビジネスモデルのイメージがないからでしょう。

 

私 大志を持って、商売をしても、ある程度拡大できた途端に「これでいいや」と思ってしまうことはないですか?

 

柳井 僕は、商売、また経営者としての仕事が大好きなので、「これでいいや」と考えることはありません。ビジネスが趣味のようなものです。確かに起業家の中には、お金を儲けて、引退して、ゆっくり暮らそうと考える方がいるかもしれない。けれども、僕はもうこれを一生やろうと考えているから、そこは大きく違うと思います。

 

私 ということは、65歳を過ぎても経営を続けるのですね。

 

柳井 創業者に引退はありません。一生かかわらないといけないと考えています。ただし、引退はないけれども、経営者は65歳くらいが体力的に限界だと思います。体力ないということは、知力がないということ。時代の変化のスピードは凄まじいですから、知力がない経営者が、いつまでもがんばったらダメだと思います。

 だから僕は、できれば65歳までに、現実の経営の執行からは外れて、欧米で言うところのチェアマン(=会長)に就任したいと考えています。

 

(明日に続く)