電車などにたむろする女の子たちの声は、いつの時代も大きく、自然と聞こえてくるものだ。
耳をそばだてることがなくとも、盗み聞きをしなくとも、何を話しているのか分かってしまう。
最近、彼女たちの会話の中でとくに気付くのは、超(=スーパー、かなり)を意味する言葉のバリエーションの多さだ。
「チョーうけるー」(=とても笑える)なんていうのは、いまや社会人のオジサンたちの会話にも浸透しているフレーズだ。 短縮版の「チョ」では、「チョッパヤー」(=とても早い)などと使われる。
広島弁をルーツにする「ぶち」も「超」の意味。そのほかでは、「めっさ」「メタンコ」「ギガ」「バリ」…。細かい使い分けをどうしているのかは、分からないものの、意味はすべて「超」と思われる。
「鬼」という名刺を副詞として使う場合もある。「鬼キモイ」というと最高に気持ち悪いことを意味するのだという。
なぜ、「超」を意味する言葉がこれだけあるのかは実に興味深いが私はその専門家ではないので、ここでは何も記さない。
言葉の乱れだけを取り出して憤慨や嘆息してもあまり意味はなく、やがて、こうした言葉は、自然淘汰を経て、よく使われるモノが辞書に掲載されるようになるのだろう。
それでも、唯一やめて欲しい「超」を意味する言葉がある。
「このパン、ゲロうまくねえ?」。
そう、「ゲロ」だ。
こらこらこらこら、食べ物と真逆のモノを隣同士に並べるなあー(笑)!