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広岡達朗監督と言えば管理野球でした

 現在、日本経済新聞の『私の履歴書』は、ヤクルトスワローズ、西武ライオンズを監督として日本一に導いた広岡達朗さんが執筆している。知らなかった逸話が続々と登場するので毎日楽しみにしている。

 

 その広岡さんと言えば管理野球である。「走」「攻」「守」をバランスよくこなせる選手の育成と厳しい練習によってチームプレーの浸透を目標にしていた。

 

 広岡さんと対極に位置するのは、1998年に横浜ベイスターズ監督として日本一に輝いた権藤博さんだ。8年間の2軍投手コーチを経験後、5人の監督に仕え、やっと監督に昇格した苦労人。そのせいか選手のプライドや個性を尊重し、夜間練習やミーティングは原則禁止。あとは選手の自主性任せという自由放任主義を貫いた。

 

 「野球をやるのは選手。データも重要だが選手の感性をより大切にしたい」。

 

 中継ぎ投手にローテーション制を導入するなど、画期的な戦術を駆使する半面、バントや駆け引きを重視しない単純な野球は力と力の真っ向勝負を促し、まるで大リーグのような試合を演出した。

 

 日本一当時の権藤さんの勝利の方程式は最終回までに僅差のリードを保ち、守護神であるリリーフエースの佐々木主浩投手に繋ぐことだった。

 

 当時の佐々木投手のフォークボールは落差に応じて2種類あり、投球モーションから読み取ることは不可能だと言われていた。

 

 そこを拠り所にした権藤野球は佐々木投手という“天才”の存在なしでは成り立たなかったろう。

 

 でも、ひとつの才能に依存するだけでは団体競技の面白みは半減だし、チームが恒常的に強くなることはありえない。実際に横浜ベイスターズは、日本一を獲得して以降、12年にわたって低迷を続けている。

 

 これに対して、広岡さんの監督としてのチーム成績は、8年間でリーグ優勝4回(うち日本一3回)、2位1回、3位1回、5位1回、6位1回と大変な好成績を残している。しかも西武ライオンズは、森祇晶さんに監督を引き継いだ後の9年で8回のリーグ優勝(うち日本一6回)を達成しており、強いチームの土壌づくりができていたと評価できよう。

 

 ファンとしては「いけいけどんどん」の采配は、確かに楽しい。しかし、勝負事の場合は、贔屓のチームが勝ち続けてくれることの方がもっと楽しい。

 ビジネスである以上を勝つことを何よりも優先させることは当然だろう。

 

 ただ、優柔不断なファンは、勝ち続けることができるようになると、勝ち方にまでこだわるようになっていくから、管理野球は商売としては万能とは言えない。