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米ペット用品EC「チューイー」の愚直なデジタル戦略に注目すべき理由

筆者は今年1月にニューヨークで開催された、全米小売業協会(NRF)の年次総会「Retail’s Big Show」に参加した。さまざまな講演や展示が行われていたなかで注目したのは、ペット用品のEC事業を展開するチューイー(Chewy) のCEOが登壇したセッションだ。巷間で取りざたされるデジタルトランスフォーメーション(DX)が何たるかをあらためて理解・実感することができた。セッションの内容を、同社のビジネスモデルの解説を挟みつつレポートする。

「イノベーションのスピード」と「カスタマーケアの質と長さ」がコロナ後の成長を左右する

チューイーのシンCEOが登壇したセッションの様子

 今年の Big Showのテーマは、”ACCELERATE(加速)”であった。基調講演では「コロナ禍で多くの消費者がオムニチャネルショッピングやタッチレス決済を受け入れ、パンデミックが小売のデジタル・トランスフォーメーション(DX)を加速させた」と総括された。同時に、「DXに成功した企業は今後いかなる事態が起きても対応できる企業文化を手に入れた」ことも強調された。「デジタルによる変革」ではなく、「変革のためのデジタル」であることがクローズアップされていたのだ。

 そして、その”変革”は顧客中心でなければならないのは誰もが知るとおりである。「ニューノーマル」とも表現された在宅時間の増加をはじめとする新しい生活様式への対応や、サステナブル(持続可能性)への関心が高まるなかでのサプライチェーン全体の変革、「メタバース」や「NFT」など若者が時間とお金を費やす新しい価値への対応・挑戦など、小売企業がこれからどのように”加速”するべきか。各講演ではウォルマート(Walmart)やターゲット(Target)など巨大企業の取り組みを中心に紹介されていた。

 しかし、デジタルを軸に大変化を遂げている企業はこうした大企業にとどまらない。その1つが、ぺット用品のEC企業であるチューイー(Chewy)だ。同社はここ3年間で売上を3倍の900億ドルまで伸ばしており、一EC企業ではなくメジャーブランドへと成長。それだけに、同社CEOのスミット・シン氏が 「Balancing growth and a customer-centric culture(企業成長と顧客中心文化のバランス)」というテーマのもと「顧客中心文化を崩さずにいかに成長させたか」を説明したセッションには多くの参加者が集まり耳を傾けていた。

 チューイーは2040万人のアクティブユーザーが1人当たり年間419ドルを消費している(Chewy Q3-2021-Shareholder-Letterより)。CRM(顧客関係管理)に力を入れており、LTV(顧客生涯価値)が非常に高い企業である。

 シンCEOはパンデミックを乗り越えこれから成長していくために必要なのは「イノベーションのスピード」と「カスタマーケアの質と長さ」であり、それを実現するのは「幸せで情熱的、意欲的な従業員がより良いカスタマー・エクスペリエンス(顧客体験)を実現し改善を続けること」だと力説していたのが印象的だった。

ペットを亡くした顧客に見舞いの花まで ディズニーランドのような「顧客第一主義」の徹底

 シンCEOはチューイーがめざす顧客体験として、ディズニーランドを例に出してこう表現した。「ユーザーがまるで自分の子どもをディズニーランドに連れて行った時のような素晴らしい体験を提供し、また来たいと思ってもらうこと」「ユーザーが楽しいときも、あるいはストレスを感じているときでさえも素晴らしいと感じられる体験を提供できるようになること」「思いやりの観点からユーザーにアプローチすることで、ディズニーランドで行列に並んだとしても、その経験がマイナスにならずプラスになることと同じような体験を与えること」。そのうえで、「ディズニーランドとチューイのビジネスの共通点は『良い親でありたい』と言う根本的な所にある」とした。

 チューイーは”To be the most trusted and convenient destination for pet parents (and partners) everywhere(ペットの親<とパートナー>にとって最も信頼でき便利である目的地になる」を経営ミッションとして掲げている。つまり、ペットの親としての強い思いに向き合い、ペットの成長に合わせて”粘着性”の高い長期的な関係を築くことをめざしている。そのために10の行動規程を定めているのだが、その1番目にあるのが「カスタマーファースト」であり、そこには具体的にこう書かれている。

チューイーが掲げる10の行動規程(出所:https://cms-www.chewy.com/pdfs/Chewy-Operating-Principles.pdf)

「カスタマーファースト」
・私たちは、お客さまにいつも特別な、記憶に残る、信頼できる体験を提供します。
・私たちは、お客さまのニーズを深く理解し、予測し、それを実現するために弛まぬ努力を続けます。
・優れた顧客体験は、長期的な競争優位を生み出す差別化要因であると確信しています。

 スミット・シン氏はこのカスタマーファーストの質を上げていくことこそ、企業が成長する過程で重要なことだと確信していると言う。

 その一環として取り扱うブランドを拡充し続け、現在は2000以上のブランドの商品を販売している。そのうえで個別対応サービスを充実させており、100%無条件での保証ポリシーや、24時間365日対応のカスタマーサービスなど、企業にとっては少なくないコストがかかるサービスを維持向上し、ビジネスモデルの中に組み込んでいる。

 さらに細かいところでは新規顧客に手書きのメッセージカードを、ペットを亡くした顧客には見舞いの花を贈るといった取り組みも行っている。とにかく”ペットの親に寄り添う”ことを前提としたサービスを徹底することで、ペット専門店チェーンやアマゾンなど、リアル・ネット双方の競合企業との差別化につなげているのだ。

コールセンターの一般的なKPI「応答速度」「処理速度」を指標にしない理由

 また、チューイには2万人を超える従業員がいるが、前述のとおり24時間365日対応のカスタマーサービスを実現するため、そのうち3000人以上がカスタマーケアチームとして働いている。そこで興味深いのが、一般的にコールセンターなどがKPIとして重視する「ASA(Average Speed of Answer:平均応答速度)」を指標としていない点である。

 もちろん、応答速度を計測できるシステムは導入している(そして96%の受電に対して4秒以内に応答できていることを明らかにしている)のだが、ASAをKPIにすることで、担当メンバーがお客の声を聞き、共感し、問題を解決するというプロセスに集中できなくなることを避けているのだという。

 同様に「AHT(Average Handling Time:平均処理時間)」も意識させないようにしている。もちろん長時間の通話は短期的にはコストになってしまうが、すべての担当メンバーが「思いやりの心で対応する」ための投資と考えているのだ。長期的にはそのコストに見合うだけの価値を生み出すという計算をしており、実際にカスタマーケアを通じて交流があった顧客や、それ以外のサービスを通じてポジティブな体験をした顧客は、そうでない顧客よりもLTVが高いことがデータで計測できているという。

アウトプット指標に捉われず、「イノベーションを生むインプット情報」を重視

 セッションのメーンテーマである「企業成長と顧客中心文化のバランス」についてシンCEOは、「企業が成長すると起業時の使命、目的、顧客志向から規模の重要性、収益性、株主の”ご機嫌取り”が優先されるようになると、多くの企業は収益や利益といったアウトプットの指標を重視するようになるが、成長やイノベーションを生むインプットの情報に焦点を当てるべきだ」と言う。24時間365日対応のカスタマーサービスに力を入れるのも優れたインプット情報を顧客から直接得るためである。

 これらの活動から生まれたイノベーションが、ペットの健康管理やペット保険などに関するサービスだ。残念ながら米国ではペットを最適なタイミングで獣医師に連れていけるケースは少ない。これは、診療・治療にかかる価格、動物病院の立地や数、獣医師のスキルなどさまざまな要因がある。

 そこでチューイーは、動物医療をより安価で身近なものにする取り組みを開始した。1つは、自宅で獣医師の診療を受けられる遠隔医療サービスだ。チューイーのサブスクリプションサービスの会員には無料で、それ以外の顧客でも15ドル程度という手頃な価格設定とした。

オンラインのペット診療サービスを展開している(チューイーのHPより)

 またブログを介した情報発信にも力を入れている。顧客が家族であるペットの不調を感じたときに正しい判断ができるように、例えば「犬がノミを持っているか判断する10の兆候」といった具体的なテーマの記事を投稿している。

 さらに現在は、ペット保険の”民主化”に取り組んでいるという。実は、アメリカではペット保険の加入率は2~3%しかない。チューイーは各種保険商品を簡単に比較検討できるようなサービスを立ち上げ、ペットとの生活をより安心で安全なものにしたいという。

 シンCEOは最後に、「今後数年間でペットのハードウエア、ペット・テック、データによる行動把握などのサービスが広がることが予想されており、より多くの”インプット情報”が入ってくる。顧客の声に耳を傾け、顧客体験とイノベーションというミッションに忠実であれば、これらをうまく使うことが可能で、多くの成長とチャンスが広がっている」と締め、セッションは盛大な拍手とともに終了した。

 シンCEOの講演とチューイーの取り組みからは、あらためてDXとはデジタルが起点ではなく、顧客起点でビジネスを構築したうえでデジタルを活用していくこと」であると強く認識させられる。