パリオリンピック・パラリンピックが閉幕したばかりだが、その裏で加熱するもう一つの“戦い”が、グローバルのフットウエア市場におけるシェア争い。その中で日本を代表するスポーツブランドのアシックス(兵庫県/富永満之社長)が自社ECサイトに導入したのが、生成AIを活用した生成AIアシスタントだ。目下、市場規模の大きい北米地域においてテスト運用が行われている。その生成AIアシスタント導入のねらい、成果と今後の課題、日本での展開の可能性などについて、同社執行役員CIO(最高情報責任者)の大島啓文氏に聞いた。
EC上でのタッチポイントのさらなる高度化が課題
2026年までの中期経営計画において「業界ナンバーワンの収益化実現」を目標に掲げているアシックス。2025年までに日本・北米・欧州でナンバーワン・パフォーマンスランニングフットウエアシェアを目指している。
日本では販売代理店とのパートナーシップの中でビジネスを推進しているが、同社が重点強化を図っているのが、ECサイト「ASICS.COM」を通じてユーザーとのダイレクトなつながりを創出するDtoC事業(以下「DTC」)だ。
DTCにおいては、とくにメンバーシッププログラム「OneASICS(ワンアシックス)」を中心としたユーザーとのタッチポイントの拡大と高度化がカギを握る。事実、OneASICS会員の数とDTCの売上には相関がみられるという。
OneASICS会員の、オンライン上でのタッチポイントを高度化する施策として、これまでも同社ではIT技術を積極的に導入してきた。
2022年にECサイト内に実装されたのが、シューズの提案サービス「ASICS SHOE FINDER(アシックス シューファインダー)」。走る目的や頻度、カラーの好みなど6つの質問に答えると、最適なシューズを提案してくれるものだ。
このASICS SHOE FINDERが、ECサイトでの顧客体験価値を高める役割を果たしてきたが、一方で大島氏は「ユーザーの嗜好や目的が多様化すると、複数の定型的な質問に答えるだけでは掬いきれない潜在顧客がいるのではないか、と感じていた」と課題を口にする。
「OneASICS会員を中心とするお客さまとのECサイト上でのタッチポイントを、テクノロジーを活用してより高度化する必要を感じ、社内で新たに目標設定した」
北米地域でチャットボットをテスト運用
オンライン上で、リアル店舗での有人対応に近いナビゲーションを実現するには、通常の定型的なFAQを超える提案のバリエーションが求められる。そう考えたアシックスが、2024年3月からECサイト内に試験的に導入しているのが、生成AIを組み込んだ生成AIアシスタントだ。
この生成AIアシスタントでは、ユーザーが購入動機やランニングのシーン、購入に当たって重視するポイントなどの質問をオープンに入力する。それに生成AIアシスタントが答え、ユーザーと会話しながらニーズを絞り込み、最終的に候補となるシューズをリコメンドする、というものだ。
現在は最終試験段階にあり、北米地域にて社員や「OneASICS」会員の中から同意を得た会員など一部のユーザーに限定して生成AIアシスタントを公開、運用している。北米を選んだ理由として、展開がしやすい英語圏であること、人口ボリュームが大きいことに加え「消費者法制が厳しいこと」を挙げる。
「例えば『このシューズだったら膝の痛みは治ります』といった不適切なガイドをしないようにディスクレーム(権利不要求)するのが、生成AIアシスタント開発における大きなチャレンジの一つ。米国の消費者法の規制をクリアするのは非常に骨が折れる作業だったが、今後の展開を考えるとまず基準の厳しい環境で開発できたことがプラスになったと考えている」
ちなみに先の中期経営計画によると、アシックスの地域別のランニングフットウエア市場におけるシェアは欧州(25%)、豪州(36%)、日本(26%)に比べて北米は9%と相対的に低い(数字は2022年実績)。同社にとって重点的に注力すべき地域であることも理由の一つだろう。
なお、地域やユーザーは限定しているが、カテゴリーについては「準備できている情報をインプットするのであればカテゴリーにあまり差はない」との理由で絞っておらず、フットウエア全般で展開している。
気になる日本での公開時期は……?
この生成AIアシスタントは、一部のユーザーに使用してもらい、フィードバックを受けながら常に改修を加えるアジャイル方式で開発を進めている。その裏ではユーザーの会話データを蓄積し、生成AIがその会話データを学習することで、提案の精度を高めている。「英語圏のボキャブラリーにおいては、一定程度クオリティが上がってきた」と大島氏も自信をのぞかせる。
「例えば『ポンポン跳ねる』という表現を『反発力』ととらえるのか『クッション性』ととらえるのか、といったところはまだ人間の感性に近づけていく余地があるが、接客・提案のクオリティは間違いなく上がっている。ユーザーからのネガティブなフィードバックも今のところはない」
主要KPIに設定するコンバージョンレート(サイト訪問者のうち、どのくらいの割合が購入などのアクションに至ったかを示す指標)も、生成AIアシスタントを使った場合とそうでない場合で数字に明確な違いが表れているという。
もっとも、大島氏は「人間の接客対応のクオリティを100%再現できるかというと、そこまでは考えていない」と、生成AIの限界にも言及する。
「生成AIアシスタントはDTCにおける顧客体験価値を高めるためのインプルーブメント(改善)施策であり、リアル店舗での有人対応にとって代わるものではない。また、ASICS SHOE FINDERのように簡潔かつスピーディーに提案してくれる体験を好むお客さまもいる。あくまで選択肢の一つであり、目的によって使い分けてほしい」
気になるのは日本における公開時期だが、「北米地域での最終テストがおおむね収束してくれば、早くて第2段階、遅くとも第3段階のタイミングで、セグメントを絞ったテストの形で開放したい」と大島氏は意欲を見せる。
ナイキ、アディダスなどグローバルブランドに、ミズノ、ヨネックスなど国産メーカー、さらにOnやHOKAなどの新興勢力も加わり、競争が激しさを増すフットウエア市場。アシックスの生成AI導入が戦国時代をリードする一手となるか、注目したい。