2016年末にアマゾンがアメリカ出店したレジレス店舗「Amazon Go」は、AIカメラやセンサーを駆使し、レジをなくして待ち時間をゼロにするという新しい顧客体験を提供した。その後、世界各国の小売店舗で同様の取り組みが加速し、日本でもフル・セミセルフレジが普及しつつある。消費環境が目まぐるしく変化していく時代にあって、競争優位性を高め維持するために、デジタル活用を進めながらリアル店舗をいかに運営していくかは、小売ビジネスにおいて重要なテーマの1つになっている。本連載では店舗の「運営」という部分にフォーカスしながら、デジタルの力を生かした変革の事例や新フォーマット、人材活用術について、先行する海外の事例を中心に考察していく。
DXの目的はお客への「価値の提供」にしかない
小売業界に限った話ではないが、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」という言葉の定義が、経営に携わる人と現場に近い人の間で異なって解釈されているケースが少なくない。まずは、DXの目的をあらためて示しておきたい。
DXは「IT化」あるいは「デジタル化」とは違い、経費削減や業務効率を上げることを目的とするものではない。今まで提供できなかった「価値」を、AIやIoTなどを用いてお客に提供できるようにするためのプロセスである。たとえば、商品情報をPOSシステムなどで管理できるようにするのは「IT化」の範疇である。そうではなく、お客の買物体験をデジタルの力によって変えてしまうこと――こうなるとDXの領域に入る。
昨今、小売業界ではアプリ、AIカメラ、GISツール、AI予測、無人店舗などの最新のデジタル技術によって、「今まで見えなかったもの」が可視化できるようになった。一方で、その見えるようになったものを、そもそも何のために見るのか。それを見た結果、どのような施策を打ってお客にどのような新しい価値を提供できるのか。そうしたことを考えていくことが必要なのである。
ポイントプログラムもDXの範疇?
DXという言葉が日本でも当たり前のように使われ始めたのは、2018年頃のことだと思う。そのころすでにECの台頭が著しかったが、ECは「物販のDX」ととらえることもできる。実店舗でしか売買ができなかった時代から、通信販売という郵便や電話を使って遠隔でも売買ができるようになり、そして今日ではウェブサイトを使ったEC、さらには「インスタグラム」などのSNSでもモノの売買ができる時代に突入している。
もっとも、小売におけるDXの歴史は決して新しいものではない。たとえばデジタル技術で管理されたポイントプログラムの会員基盤を使った顧客の囲い込みによって新しい買物体験を提供するといった取り組みは多くの小売企業でかねて実施されていたが、これも考え方によってはDXと言えるだろう。
お客の「選択肢」を増やすためのDXを
さて、DXが進むと同時に、消費者の購買行動もより多様化している。新聞購読率が下がりチラシが見られなくなっているのは周知の事実だが、ブラウザのGoogle検索からGoogleMapでの検索へシフトしたり、アマゾンをはじめとするECサイトではなくインスタグラムで買物をしたりと、とくに若年層を中心に加速度的に買物プロセス、そこで得る買物体験は変わってきている。
一方で業界にもよるが、日本のEC化率は依然低く、実店舗の購買が変わらず大きな割合を占める。だからといって、今までと同じような店舗運営で良いのか、というと違うはずである。
今日の消費者は、以前のようにテレビ広告などのマス媒体から得た情報によって「画一的な意思」を持つことは少ない。価値観が多様化するなかで、同じような価値観を持つ小さな集団に分散し、その集団で情報を集めていく。そうしたなかで、より品揃えが豊富で、好きな場所で好きな時に好きな物を買えるインターネット上の店舗のほうが、お客のニーズを満たすことができ、結果として最高の買物体験を享受できる。その点で、リアル店舗の価値が相対的に低下する恐れもなくはない。
つまり、いま小売業に必要なのは、お客に対して場所や買い方、価格などを「選んでもらえる」状態をつくること――つまり「選択肢を増やすためのDX」の実現である。そして、ただ選択肢を増やすだけでなく、いちばんの資産である「実店舗の価値」を生かしたうえで選択肢を増やし、「選ばれる店づくり」を果たすことが、「店舗運営のDX」のゴールであると筆者は考えている。
DXとは「現状の否定」ではなく「現状に則した改善」、もしくは「更新」である。いままで培ってきた経験や伝統をバージョンアップして、今日の消費者に支持され、喜んで買物してもらうために推進されるべきものである。
では、世界ではどのような店舗運営DXが推進されているのか。次回以降、深堀りしながらみていきたい。