連結売上高203億円(2022年10月期)、従業員数1123人、「紅虎餃子房」や「万豚記」「タイガー」など326店舗を展開する際コーポレーションの創業者かつリーダーが中島武(75)さんだ。
有名企業のトップになっても町中華のオヤジ
実は中島さんとは、取材とはまったく関係なく1人の客としてお会いしたことがある。
出張帰りにたまたま立ち寄った中華料理店「紅虎」で案内されるがままにカウンター席に着くと、厨房の中にはでっぷりとした強面の偉丈夫の姿があり、従業員に忙しそうに指示を出していた。
「さて、どこかでみた顔だな?」と記憶回路を辿ってみれば、その方こそが中島武さんだった。
料理が出てくるまで、オープンキッチンの中の中島さんを観察していた。7人ほどの従業員が所狭しと働く中で巨漢を効率良く動かし、実際に自分でつくり、味見して、率先垂範指示を出す中島さんの姿があった。
この規模の企業のトップが町中華のオヤジのように働き回っている姿は、なかなかの感激ものだったことを覚えている。
料理が出され、食べていると、中島さんがカウンターごしに声を掛けてきた。できる限り、お客と会話するのが中島流らしかった。
「量は多いけど、おいしいでしょ?」。
私は、「ええ」と答えると同時に、以前読んだことがある、中島さんの著作『ハングリー』(講談社刊:2004年)が面白かったことを伝えた。
すると中島さんは、興味を持ってくれたようで、「あそこに書いてあることは僕の人生の半分ほど。本当はもっともっとすごいんだよ」とニヤリと笑った。
500万円の投資で年間1億2000万円のリターンが見込める商売
著作には1948年に福岡県田川郡で生まれた中島さんの生い立ち。拓殖大学に進学し、応援団団長をつとめた後、事業家として成功したもののバブルが崩壊。42歳で天文学的な数字の借金を背負った男が、際コーポレーションを設立し、外食産業界で悪戦苦闘を繰り返す中で徐々に軌道に乗せてゆく過程が描かれている。
著作の中で、筆者は金融屋時代の経験に則って、「紅虎餃子房」「万豚記」との年利計算を試みている。
「500万円の投資で、月1000万円の回収ができたとして、年間で1億2000万円。利回りに換算すると、実に2400%にもなってしまうではないか!(中略)『嗚呼、オレはこれまで、なんと知恵のない仕事をしてきたのだ』(後略)」。(p109)
さらに筆者は飲食業(=実業)の楽しさについて活き活きと語っている。
「100円で仕入れたものを『加工』して、1000円で売ってもいい職業。(中略)皿1枚に載った料理の内容でなら、1兆円企業とでも1対1の勝負が張れる世界だ(後略)」。(p109)
「帰りがけにお客様が『いや、おいしかったよ』とか『いい店だね』と誉めてくださる。思えば、金融業時代の私に帰りがけに、『あんたの会社、いい会社だね』と言ってくれた客など誰一人いなかった」。(p110)
不労所得や濡れ手に粟の商売を真っ向から否定する。
そして、「起業していちばん大切なのは、続けていくこと、持続力なのだ。その強い持続力を支えるのは強い精神力。一度や二度の失敗でくじけたり、あるいはほんの少し成功したとたんに、もう勝負が怖くなって、それまで成功した分をカネやヒマや豪邸に換えて、わずかな勝利の味をあじわう経営者をよく見かける。それはそれでひとつの人生だし私がとやかく言うことではないだろう。しかし、せっかくつかんだ成功の端緒を人に譲り簡単に勝負から降りるようでは、運は逃げるし、必死でつかんだ勝利は束の間の夢で終わるのではないだろうか」と持論を展開する。
こうした考えがあるから、新型コロナ禍の逆風下でも耐え抜けた。
たとえ203億円を売り上げても、「すき家」や「なか卯」「ココス」「はま寿司」などを展開する業界1位のゼンショーホールディンス(東京都/小川賢太郎社長)から見ればハナクソみたいなもの。そのゼンショーホールディングスもトヨタ自動車(愛知県/佐藤恒治社長)からみればちっぽけな存在、という考えが中島さんにはある。
成功したと現状に慢心せず、厨房で油まみれになりながら働いている中島さんの姿は、いまも私の目に焼き付いている。