すでに見てきたように、布施さんの戦い方の特徴は“集中政策”にある。キリンビールでも同様の打ち手を施した。従来、約20のブランドすべてに投資をしてきたが、その結果主力ブランドへの投資額が他社に比べて60~70%の金額になっていたことを問題視。戦略的な7ブランドへの集中投資に変えた。
数々のブランドを確立
具体的には、「『一番搾り』を日本のビールの本流にしよう!」と旗幟を鮮明にした。また、新しいブランド育成にも力を注いだ。ブランドを持つことの重要性を説き、競争優位の源泉をブランドに求めた。ブランドは資産であり、10年後20年後の社員にそれを残すことを全社のマインドとして統一した。
結果は残せた。たとえば、「麦の本来のうまみ」と飲みやすく飲み飽きないことを訴求した「一番絞り」は、2019年に過去最大の出荷量を記録した。さらには、「新ジャンル(=第3のビール)にキリンのマークを付ける」ことに賛否両論が噴出した「本麒麟」の発売に踏み切り、大ヒット商品に育て上げた。RTD(Ready to drink)市場では「氷結」「キリン・ザ・ストロング」「本搾り」の3本柱で高いシェアを堅持する。
その他、工場から直接家庭に生ビールやクラフトビールを配送して、専用のビールサーバーで楽しんもらう「KIRIN Home Tap」や、「一番搾り」ブランドから国内で初めてビールカテゴリーで糖質ゼロを実現した商品「キリン一番搾り 糖質ゼロ」発売するなど、新サービス、新機能を提供することで市場創造の種まきにも専心した。
「経営とは人を通して事をなすこと」
布施さんのもうひとつの経営軸は、社会・業界・お客さまの課題を解決することを商機に転換していくというものだ。マイケル・ポーターの「企業と社会の共通価値創造」(CSV:クリエイティング・シェアド・バリュー)経営を実践し、深化させるように努めた。「お客さまのことを一番考える会社」→「世のため人のためになること」→「儲けること」と考え、小倉昌男氏の『経営学』に登場した「サービスが先、利益は後」を心がけた。
その結果、2018年は増収増益、2019年も増収増益を達成した。「正しい戦略」×「従業員のマインド向上」=好循環の連鎖。大阪支店長時代に成功した布施さんの勝利の方程式は、巨大な組織でも見事に機能した。その根本には「経営とは人を通して事をなすこと」という考えがあった。
そして、布施さんが新たな市場を創出しようと力を入れたのがクラフトビールである。ビール業界全体の1%に過ぎないクラフトビール市場の活性化を目指した。キリンビールのことのみならず、ビール業界全体に元気を呼び戻したかったからだ。
「ビール市場が縮小したのは、若者離れとか高齢化とか、世間が言うようなことだけではないんじゃないか。メーカー側にも大いに問題があると思う。新ジャンルや発泡酒の開発ばかりに力を入れ、儲からない構造にしてしまったからね」。その裏には、そんな反省があった。
11年ぶりにシェア首位を奪還
2018年3月からは、業務用として全国の飲食店で展開をはじめた「Tap Marché(タップ・マルシェ)」をスタートする。1台で4種類のビールの提供が可能な小型のディスペンサーを設置することで、キリンだけでなく12ブルワリー28銘柄(当時)の多様なクラフトビールを楽しめる仕掛けだ。「Marché(市場)」のように、個性豊かで多様なクラフトビールと多くのお客が出会い、気軽に楽しめる「場」を提供し、新たなビール文化の創造を目指した。
また、業務資本提携していた星野リゾート創業者の星野佳路氏が設立した、「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「東京ブラック」などの商品を展開するヤッホーブルーイング(長野県/井手直行社長)との関係強化を図った。渋谷区代官山には、クラフトビールブランド「SPRING VALLEY BREWERY」のオールデイダイニング「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO(スプリングバレーブルワリー東京)」を開業させた。さらには、元AP通信のスティーブ・ヒンディ氏が創業したブルックリンブルワリーに資本を注入した。
布施さんは、「経営者としての軸を形成してくれるから、逆境や苦難に直面することは大事だ」と話していた。「どんな試練も自分の考え方次第でどうにでもなる。見方を変えればチャンスになるんだ」。だから、リスクを取って仕事に挑んだ。
そんな布施さんの万策は奏功した。2020年、キリンビールは11年ぶりにシェア首位を奪還したのだ。
2021年9月1日、布施さんは急逝したのはそんな折だった。残念極まりないことではあるが、布施さんが育て上げた人材(マインド)と商品(ブランド)は、布施さん亡き後も残る。