ユニーの“中興の祖”の1人である故家田美智雄さんという流通業界最強のサラリーマン経営者を全6回で振り返る連載・小売業サラリーマン太閤記。最終回となる第6回は、家田さんの経営哲学と残した実績から4年間の社長在任時代を総括する。実績を上げられるトップとそうでないトップの違いはどこにあるのか、家田さんの4年の総括からはっきりと見えてくる。
3年かけても成果を上げられなかった旧経営陣
3ヶ月で数字を残した家田さんの違い
家田さんが復帰する以前――ユニーがどんどんとおかしくなっていった頃、社内には「業革委員会」という組織が立ち上げられていた。委員会内にはいくつものプロジェクトチームが存在し、喫水線がどんどん下がっていく船から水をかき出すべく、選ばれたメンバーたちは懸命にユニーの改革に努めてきた。
旧経営陣は、危機的状況の中で、何もしていなかったわけではなかったのだ。
しかし、3年間の歳月を要しても、まったくうまくいかず、業績は悪化の一途をたどっていった。
大企業病や官僚主義を前に、委員会は蟷螂之斧(とうろうのおの)と化し、機能しなかったのである。
他方、家田さんは、着任3か月でさまざまな改革を実行し数字を残した。
後日、家田さんは、プロジェクトチームのメンバーだった社員に「この違いは何なのですかね?」と聞かれた。
すかさず、「俺に権力があるからだよ」と答えている。「結果がでなければ、『もう明日からお前は来なくていいから』と言えるからね」。
このように、家田さんはユニーのリストラ策を実行する中で、厳しい政策を断行したり言ったりしてきたという自覚がある。その裏にあったのは「それでも潰れるよりはいい」という思いだ。
「信仰心が非常に厚い会社がある。本来なら神様がバックにいれば企業は絶対に潰れないはずだ。しかし今の時代は神様さえあてにならない。ということは、他力本願ではなく、自分たちでやるしかないんだ」。
「うちの社員は、俺のような社長が来て、とてもかわいそうだと思うんです」。
しかし、「上司は選べないからあきらめろ。理想の上司像なんかを追うとおかしくなる」と言って、あえて自己否定することも避けてきた。
「人間の頭数と仕事の量には何の関係もない」
だから執行態度は厳しかった。
けれども、量的にできない仕事をやれとは言わなかった自負はある。
実際、コマンドを出した従業員に対しては、「もしキャパシティがオーバーしているならば、『できない』と言ってくれ」と必ず付け添えた。
家田さんは、もし「できない」と申請する者が出てきたのならば、①できる人に代える、②代えても無理なら増員、という2段ステップを構えていた。
しかし家田さんが社長であった4年間で「量的にできない」と申し出た管理職は1人もいなかった。
家田さんは、「人間の頭数と仕事の量には何の関係もないんですよ」と言い放ち、「ちょっと重たい荷物を持たせて責任と権限とステータスを与えれば人間は動くんです」と人のモチベーションを上げることの重要性を後に語っている。
家田さんが社員に語りかけてきたのは、「最後の最後まで生き残ろう」という難しいものではない。「(数ある小売企業の)真ん中よりも後で潰れよう」と達成できそうな目標を設定し、ここでもモチベーションアップを図っていた。
ただ、従業員をその気にさせるためには、会社に対するロイヤルティがないといけない。
家田さんは「ロイヤルティとは、潰れないという安心感だ」と考えていた。それでも「会社とは潰れる」ものだから、「俺はお前たちを食わせるために必死になってやる」と言い続け、常に従業員を鼓舞激励した。
ユニーでは、年に2回程度、グループ企業のトップと労働組合が出席し、会社の将来など様々なことを話し合う経営協議会が開かれていた。
家田さんが乞われて出席した時には、「こんな厳しい時代にどうしたらいいのか?」という質問を受けた。
「俺は八卦見じゃないから将来のことは分からない。でも1つ言えるのは、いざというときに全社員が『1割~2割の『給与ダウンはオーケー』と言ってくれれば潰れないから心配するな」と回答している。
潰れる宿命を背負う会社という生き物を潰さないためにはどうすればいいかを常にシミュレーションしていたことがうかがえる。
家田さんは言う。「商売というのはやり方次第だ」と――。
追い詰められたところからでも、従業員のモチベーションをあげ、工夫を繰り返しているうちにうまくいくようになる。
そんな中で、一部のユニーの社員には既述のような成功体験が生まれた。
それが社内で共有化され、やがて部署を超え、全社的に相乗効果をもたらし、好循環になり、ユニー再生の原動力になった。
家田さんが、元日営業をしなかった理由
家田さんの真骨頂は、従業員に分かりやすく簡易な言葉を紡いで方針を語るところにある。怒声は上げないが言葉には衣を着せずにズケズケ言う。
「ユニーには、希望退職する者もヘッドハンティングされる者もいないんだから働け!」。一般的な会社なら従業員は嫌気がさし、辞表を提出する者がいても不思議ではない。
そうならないのは、返す刀で「慣れた仕事というのはやっていてラクなもの。俺だってユニーにいればラク極まりない。『お前が入ってくる前からやっているんだ。だから若造はダメなんだ』で大抵の話は終わってしまうから。けれども、他社に移れば、また雑巾がけからやり直しになる。だから『社歴も実力のうち』だ」と「辞めてはいけない」というメッセージを送ったりしているからだ。
一連の言葉は、従業員のモチベーションを昂揚させ、成長力の源に昇華した。
家田さんは、言葉については相当自信を持っていた。
「俺が間に合うのは口だけ」「口だけでは絶対負けん」と豪語し、従業員にも「俺は屁理屈と膏薬はどこへでも付くという信念をもっている」と話していたこともある。
「経営=言葉」であるとするなら、家田さんは生まれつきの経営者だったといえよう。
もうひとつ。従業員のモチベーションがあがる家田さんの対応は元日営業についてだ。「俺は1月1日から働きたくない。だから休む」ということで、リストラ中であるにもかかわらず、ユニーは元日を休業にした。
「元日営業で売上は取れるかもしれないが、現場のモラルは低下する。元日営業は、1社で独占できればうま味もあるけれども恒常化・日常化した時には、あまり意味がない」。
家田さんの実績
5年で売上2000億円増
経常利益5倍、従業員1300人減
最後に家田さんのリストラを総括したい。
家田さんが社長に復帰する前の期である1993年2月期から、5月まで社長を務めた1998年2月期の数字を比較すると、営業収益は7246億円と約2000億円増加した。一方で、在庫を10%削減、労働分配率は46%から42%に4ポイント落ちた。経常利益は32億円から141億円と4.4倍になった。従業員数は7877人から6592人に減っている。
これが数字としての家田さんのリストラの実績だ。
沈むユニーを4年間で優良企業として蘇生させた家田さんは1997年、63歳になった。その5月、51歳の佐々木孝治氏に社長の座を禅譲した。
当時、ユニーの社長の定年は65歳。「ポスト家田は誰なのか?」と盛んに噂された時期だった。
マスコミは「家田さんの後釜は不在」という論調で書きたて、このままだと65歳以降も社長をやらなければいけないと考えた。家田さんは、会社の誰もが気づかず予想さえしなかった63歳の時にいとも簡単にバトンを渡した。
「ユニー社内の人材は豊富だ。集団だとすごいパワーを発揮する。何か知らないけどワーッと集まってワーッとやってしまう。パワーというのは会社の持つ能力だと思う。『おまえら大したもんだ』といつも感心させられてきた。ただ1人1人を見る限りは傑出した人がいないように見えるのは確かだった」。
中国に「千里の馬、常に有り 馬喰【ばくろう】、常に有らず」という諺がある。
千里を駆け抜けられる馬はいつもどこかに存在するけれども、それを見出す馬喰(=伯楽)がいないから、千里馬は野に埋没してしまっているという意味だ。
「集団の中に自分に代わる優秀な人間は必ず存在する。見つけられないのは自分の責任だ」ということで「千里の馬」として目を付けたのがホームセンターの「ユーホーム」を立ち上げ実績を上げた佐々木氏だった。
西川俊男名誉会長(当時)に、自分の進退と後任人事について話すと、2つ返事で快諾された。
「これまで、ずいぶんと西川さんをいじめてきたけれども、社長を譲る話をしたら、『おまえ、いいところに気づいた』と喜んでくれた。(西川さんは)さすがの人物だ、と改めて感謝した。逆にあの時に悩まれたら、私も悩んでしまったに違いないから」。
交代の2週間前に佐々木孝治氏を呼び出した。
「お茶を飲め」と勧め、「実はお前に(社長を)やって欲しい」と言った。佐々木氏はカムリを振って固辞したが、「機密事項は聞いたら終わりだ」とドスをきかせ、「(辞退するなら)会社におれんよ」と退路を断たせた。
「俺は火消し人足で火事がなければ呼んでもらえなかった。けれども、お前は火事の前に呼んでもらえたのだからいいじゃないか」と口説いた。
「家田さんは不思議な人です。話しをする前は緊張するんですけど、喋っていると安心するんです。『次期社長だ』と言われた時には『難しそうだな』とためらい、断りました。しかし、家田さんの話を聞いているうちに『これならやれるかな』と思い込めるようになりました。それでお引き受けすることにしたのです」(佐々木氏)。
佐々木氏と社長の間には9人の役員がおり、この人事は後に“佐々木跳び”と呼ばれた。
そんな経緯で、平成9年(1997年)5月。佐々木氏は代表取締役社長、家田さんは代表取締役会長に就任する。
これにて家田さん流ユニーのリストラは完成に至った。 -了-
おまけ
家田さんの語録で紹介していないものを記しておきたい。
「店舗には機能が大事」
機能がそろっていない店舗には経費がかかる。中途半端に面積があっても駐車場がなければお客さまには来ていただけない。これは閉めるしかない
「店をキレイに、バックヤードをキレイに」
私の臨店と同時に入荷があったとしても店が汚れていたら面白くない。ある水準を保つためには毎日同じことを繰り返さなければならない。維持するのは大変だからこそ私は店回りを続ける
「売れる店とモノは正しい」
お客さまから見ていい店ならそれでいい。いい店とは売上が上がる店
「IBS(行き当たりばったりシステム)」
状況変化には臨機応変に対応しなければならない。だから長期計画の策定に時間をかけても意味はない。それよりも、その場限りでも構わないから、今何をなすべきか焦点を当て迅速に対応すべき
「学生のカンニングは罪だけど、社会人はしてもいい」
他の企業で、売れているモノ、利益を上げているモノはすべてマネしても構わない。マネは学びであり、会社に入ってからは許される
「戦艦の艦長が駆逐艦のかじ取りをできるか分からないが、駆逐艦の船長は戦艦も動かすことができる」
巨大戦艦のかじ取りは分業制だが、駆逐艦は艦長が細かな点もすべてチェックする。だから戦艦の艦長もできる