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部下を潰す店長と育てる店長 違いはここにある!

このシリーズは、部下を育成していると信じ込みながら、結局、潰してしまう上司を具体的な事例をもとに紹介する。いずれも私が信用金庫に勤務していた頃や退職後に籍を置く税理士事務所で見聞きした事例だ。特定できないように一部を加工したことは、あらかじめ断っておきたい。事例の後に「こうすれば解決できた」という教訓も取り上げた。今回は営業マンとしては稼ぎまくるが、部下を育成できない店長と、その後、就任した新店長との違いをあぶりだしたい。

Illustrated by ARTPUPPY

 

第13回の舞台:不動産会社

都内の不動産会社(社員数6人程)


「相手に伝わる言葉」で話せる上司とそうでない上司

 地下鉄C駅から徒歩1分の商店街。通りからガラス越しに、6人の社員の姿が見える。男3人、女3人で、平均年齢は20代後半。お客さんはいないが、和やかな雰囲気だ。1年前までの殺伐した空気がない。新店長の野原(38歳)が冗談らしきことを言っているのか、皆を笑わせている。社長を入れて7人の規模でありながらも、業績はよく、売上は現在1億円を超える。

 この不動産会社の創業は、2011年。中華料理店を経営していたオーナー(46歳)が賃貸物件の管理に前々から関心を持っていたことから、スタートさせた。その頃の部下であり、チーフの地位にあった男性の池下(32歳)に宅地建物取引主任者の資格を取らせ、店長に抜擢した。オーナーは業界未経験であり、飲食店の経営で忙しい。最も信用できる池下に多くを任せた。

 経験が浅くとも、池下は持ち前の明るさと要領の良さで、契約を次々と成立させた。家賃数万円から20万円前後までの賃貸物件を1ヵ月で5∼10件のペースだ。部下たちには厳しかった。創業時から仕事が多かったため、20代の男性3人を雇った。スパルタで教え込んだが、1年で全員が辞めた。2014∼17年にも計6人を雇うが、全員が退職した。

 池下は営業マンとしては一定の実績を残すが、マネジメントができない。自分にしかわからない言葉で、部下たちに教えた。部下の経験や知識、理解力がどのくらいであるのかを心得ていない。そもそも、自らが汎用性のあるノウハウを持ち合わせていない。多くは「たまたま、運よく契約を成立させた」のであり、不成立数は社内で最多だった。だが、自分のことを棚上げして、部下に「完ぺきなもの」を求めた。

 1年前、オーナーは池下を店長から外した。部下たちの不満があまりにも強いためだ。池下は怒り、直ちに退職した。代わりに、新店長に野原を抜擢する。前職が都内の同規模の不動産会社の営業主任だった。野原は「自由放任」でありながら、押さえるところを心得ていた。毎日、個々に報告を求め、その1つずつに皆に聞こえるように指示をする。抜き打ちで、突然、報告も求める。

 池下の店長時は、会議は年に数回で、その日に突然始まった。今は、毎月2回、全員参加の1時間程の会議をする。グループウェアを使い、全員が日々の仕事を書いて共有する。毎日、野原は数行であるが、コメントを添える。それを全員が見る。オーナーも、この情報共有に参加している。これら一連の試みは、池下の時にはなかった。池下はあくまでひとりで仕事をしようとした。「俺についてこい!」と言わんばかりに引っ張った。

 野原は店頭にお客さんがいない時には、オーナーや近所の商店街の店主たちのまねをするなどして、皆を笑わせる。ガラス越しに見える店舗内は、以前とは違う空気を漂わせていた。

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こうすればよかった!解決編 会社のステージで必要な人材は変わる

会社の成長ステージに合わせて成長できる人材とそうでない人材

 2人の店長の違いは、どこにあるのか。私は、次のような教訓を導いた。

こうすればよかった①
育成の仕組みを整える

 この会社が今も存続し、売上1億円を超えているのは、池下の力によるものが大きい。創業時には、強力な営業力を持つ社員が必要なのだ。確かに、部下の育成はできない一面があったのかもしれないが、会社への貢献度は相当に高かった。私自身、実は2014年に彼の顧客のひとりだった。

 池下は会社の成長のステージに、自らの成長を合わせることができなかった。業績を拡大させ、部下を雇うようなところまではできるのだが、育成の仕組みづくりができない。部下が3∼5人になったら、本来、仕組みづくりを覚えなければいけなかった。現在、新店長の野原はそれをある程度は心得ているのだろう。

こうすればよかった②
仕組みづくりをするうえでの心がまえ

 仕組みづくりのポイントとして、まず心得えるべきは、「自分ひとりではできない」と正しく認識することだ。ひとりではできないからこそ、情報や意識、目標の共有態勢をつくる。組織で仕事をする風土や文化をつくるのだ。池下は相変わらず、「自分ひとりでなんとかなる」、と信じ込んでいた。そんな姿勢ならば、会議をして、チャットツールを使おうとも、大きな効果は発揮しない。

 皆の力で仕事をするならば、野原のような「自由放任」式にする時も必要だ。報告などは毎日聞く態勢にしつつも、職場の空気を和やかなものにする。そのような「楽しみのある職場」の空間を形づくるのが、リーダーの仕事だ。池下にはそんな発想すらなかった。プレイヤーのままならば、「俺、ひとりでできる」でもいいかもしれない。マネージャーでもあったのだから、意識を変えるべきだった。あの営業力を知るだけに、惜しいとつくづく思う。

 

神南文弥 (じんなん ぶんや) 
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。

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