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誰かが見ている

 以前在籍した会社に入社した当日、上司から言われた。

「即座に評価されるか、されないかは、わからないけれども、君の仕事ぶりは、誰かが必ず見ている。だから、不平不満を漏らすことなくしっかり仕事に取り組んで欲しい」。

 

 このアドバイスを受けてすぐに思い出したのは、芥川龍之介が『蜘蛛の糸』の中で書いたお釈迦様の存在だった。地獄でもがき苦しんでいるカンダタ(犍陀多)が一度だけ善行を成したことを思い出し、目の前に救いとなる「蜘蛛の糸」を垂らした――。

「小さな蜘蛛を踏み殺さなかった」という些細な出来事でさえも誰かが必ず見ている、と伝えたかったのだろうと上司の言葉を理解した。

 

 同じようなエピソードとして想起できるのは、ギリシアの彫刻家フェイディアスだ。紀元前440年、彼はアテネのパンテオン宮殿の屋根にのせる彫像群を制作した。完成後に請求書を出すと、アテネの会計官は、「彫像はアテネ一高い丘に建つパンテオンの屋根上にある。背中の部分は誰にも見えないのに、あなたは無駄に彫って請求している」と言い、支払いを拒否した。

 それに対してフェイディアスは「それは間違っている。神々が見ている」と答えたという。

 

 さらに似たようなことが9月20日の夜に起こり、スポーツ紙などで報じられている。

 サッカーのウルグアイ代表で、現在、日本のセレッソ大阪に籍を置く、ディエゴ・フォルラン選手が日本代表のハビーレ・アギーレ監督と会食し、日本代表候補を推薦したのだという。2人は、スペインのアドレチコ・マドリードで監督と選手の関係だったとのこと――。

 だが、今年3月にフォルラン選手が日本のJリーグにやってくることはもちろん、7月にアギーレ氏が日本代表監督に就任するなど、1人たりとも予測不可能だった。

 その予測不能な人事やコネクションが日本代表選手を決める可能性さえある。

 

 確かに誰かが見ているのである。