スティーヴン・スピルバーグ監督の最新作『戦火の馬』のクライマックスは、主人公の軍馬「ジョーイ」を敵対する独軍・英軍の兵士が協力して助けるシーンだ。
やがて救出した「ジョーイ」をどちらの軍が引き取るかを決める。
どんな方法で決着を付けるのかと興味深くスクリーンに注目していたらば、なるほど《コイントス》だった。
日本人だったら、どうするだろうか?
さしずめ、《じゃんけん》だろう。
《コイントス》と《じゃんけん》――。
一見、日欧というエリアの違いによるゲーム種目の違いのように見える。しかしよく考えてみると、《コイントス》と《じゃんけん》は、まったく異なる類のゲームであるように思えてきた。
その理由は、《じゃんけん》には、「あいこ」、すなわち、「引き分け」があるからだ。
3回に1回は、勝敗がつかないシステムになっているというのは面白い事実だ。
何の根拠もなく、勝手に想像するならば、この日本の「引き分け」という文化は、農耕民族と関係が深いように見える。穀物は、どんな不作の際でも収穫後、0対10や5対5、1対9…どんな比率にでも分けることができるためだ。
ところが、狩猟民族の場合は、「オールオアナッシング」の文化だろう。獲物を取り逃したら、それでジ・エンド。3分の1匹を捕獲することなどない。
圧倒的な勝者と敗者を決めない文化が、1億総中流社会と言われた日本の根底にあり、江戸時代に生まれた《じゃんけん》はその象徴であったはずなのだが、アメリカかぶれの政治家や学者が無理矢理に欧米のルールを持ち込んだ結果、日本は格差社会になってしまった。しかも、これがうまく機能しているとは言い難い。
――と、そんなことを考えていたら、『戦火の馬』はエンドロールになってしまった。