普通に健康な生活を送っていると、人間の生命は等しく尊いように思える。
人間は、生まれた時から死に向かう宿命にあり、みな平等に死んでいくのだから当然と言えば当然だ。
ところがよくよく考えてみれば、死に至るまでの過程というのは、各人各様でばらばらだ。
たとえば生まれた国によっても異なる。
「国の境目が、生死の境目であってはならない」とは国境なき医師団のCMコピーではあるが、現実問題としては日本では罹患しても100%助かるような病でも、国によっては助からない、ということは結構ある。
では、日本国内における人命は、一様に等しいかと言えば、必ずしもそうとは言えない。
最先端の医療を受けるには莫大なコストを要するからだ。
その結果、富裕者だけしか助からない病気というのは多々ある。
入院するために借金を背負って、命は助かったものの、今度は借金苦で自殺したなんて笑えない話もあるほどだ。
人間ドックも同様だ。
忙しさにかまけて怠っている者はさておき、たとえば全額自己負担になるPET検診なら安くても10万円ほどかかる。早期発見が重要ながんではあるが、毎年10万円のコストを要して身体のケアをするというのは、持たざる者には苦しいことだ。
京都大学の山中伸弥教授らが開発したiPS(Induced pluripotent stem cells:人工多能性幹細胞)というのもまさにこの類なのではないだろうか?
iPS の作製技術を駆使すれば、がんにかかった臓器を摘出し、代わりに自己培養した新しいものと取り替えることが可能になる。
患者自身の細胞から分化してできた臓器は、患者に移植しても拒絶反応が起きにくいと考えられており、画期的な治療法が誕生したと言えるのだろう。
問題はコストだ。
こうした治療を受けられるのは、限られた富裕者に過ぎない。
しかも、限られた富裕者は医学の発達で死ににくくなる。一般人の平均寿命80歳に対して、富裕層は140歳くらいまで生きることが可能になるだろうから、相続の問題も先延ばしできるようになる。
そして、人間に平等に訪れるはずの老いと死を延期させることは、「寿命格差」とさらなる「資産格差」という大変な格差社会をつくってしまうことにつながる。