京都で餃子といえば、あの全国チェーンを連想する人は多い。しかし実は、それより古くから餃子を看板としている「元祖ぎょうざの店」が存在するのだ。場所は三条大橋。東京・日本橋を起点する東海道五十三次の終点である。周辺は今も多くの人で賑わい、歴史ファンも楽しめるスポット。どんな店なのか、早速行ってみよう。

「池田屋騒動」の痕跡が残る三条大橋
江戸時代末期の元治元年(1864年)──。7月15日(旧暦6月5日)午後10時頃、京都守護職配下にあった治安維持組織、新撰組が長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を襲撃する。いわゆる「池田屋騒動」である。これにより討幕が数年遅れたともいわれ、また新撰組の名は世に広く知られることになる。
事件の舞台となったのが京都・三条大橋近くにある旅館の池田屋だ。現在は居酒屋になっており、店の前には石碑、さらに「池田屋騒動顛末記」と題し解説文を記した掲示物が設置されている。
ここから東100mに行ったところに当時の痕跡が残る。三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)部分に騒動の際についたという刀傷を確認できる。追いつ追われつする幕末の男たち、交錯した刀が鈍く光る様子を想像するだけで気持ちが高揚してくる。
今回の目的地は、この三条大橋から至近にある飲食店である。もう向かいたいところだが、その前にもうひとつだけ案内したいものがある。それは「弥次喜多像」。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に出てくる主人公で、2人の像が橋のたもとに置かれている。
東京・日本橋を起点とする東海道の終点がここ三条大橋。約492kmある東京・京都間の移動は現在、新幹線を利用する人が多いが、昔は街道を歩いた。像を前に、江戸時代の光景に思いを馳せるのも楽しい。
一通りのガイドを済ませたところで本日の行き先を発表すると「珉珉 三条大橋店」である。珉珉の創業は昭和28年(1953年)、京都ではなく大阪においてである。京都発祥ではないのになぜこのコーナーで取り上げるのかといえば、相当、古くからこの場所にあるからだ。
開店時期は不明だが、店員に聞いたりネットで調べたりした結果、1966年には営業していたと考えられる。あるサイトでは、京都出身の歌手、沢田研二が在籍していたバンドが、大阪で演奏した帰り、この店にしょっちゅう寄っていたとのエピソードに触れていた。
京都で餃子といえば「餃子の王将」を思い出す人は多い。しかし「餃子の王将」の創業は1967年だから、「珉珉 三条店」の開店の方が古いことになる。そう考えていると、一刻も早く店に入りたい気持ちになった。高鳴る鼓動を抑え、私は自動ドアのボタンを押した。
薄皮で小ぶりな餃子をいただく
入店したのは午後5時半。もう混んでいてもおかしくない時間帯だったが、運良くカウンター席に通された。
メニューを手に取り、何を注文するかを検討。その結果、「ビールセット」に決めた。ビールのお供に、5種類ある料理の中から一品を選ぶもので、私は「青椒肉絲」を選択した。
料理が来る間、店内を観察すると家族連れ、インバウンド客、女性同士など多様なお客で賑わっている。私が座っているカウンターには男性の1人客が多かったが、中にはおしゃれな感じの年配女性も座っていた。
スマホで珉珉について調べると、関西だけでなく首都圏にも店舗があり、各地に広がっていることがわかる。その中、私が今いる三条店は、京阪電鉄に乗れば創業地の大阪から一本というアクセスで、チェーン展開の比較的初期にオープンした店なのではないかと想像する。
そうこうしている間に届けられたのがこれ。どうです、おいしそうでしょう。
まずはジョッキを手にとり、ビールを流し込む。ぷはー!これは最高だ。続けて青椒肉絲を少しつまんで口へ、するとまた体が強くビールを要求、ぐびぐびとやる。たまらんではないか。
しばらくして餃子がやって来た。珉珉の餃子は、「王将」と比べると薄皮、さらに小ぶりなのでテンポよく楽しむことができる。1個とり、タレにつけて頬張り、再びビールを補給する。
あとちょっとだけ何かを追加したくなり、メニューを見て、頼んだのが「珉珉やきめし」。タイミングがよかったのだろう、案外早くきて食べる。あぁ、やっぱうまいよな。
興奮しながらだったからか、あれよあれよという間にすべてが胃に吸い込まれていった。とても幸せな気持ちである。
約60年間、三条大橋界隈の風景を見守って来た「三条店」。もし時代が重なっていたら、新撰組の面々もここで一献ということもあったかも知れないと考えながら、私は店を後にした。