焼きギョーザ? それとも水ギョーザ? 餡に入れるのは? 付けるタレは何を使う? 具材から調理法まで、こだわりが強く現れるギョーザ。自らの好みについて語り出したら止まらない人も少なくないようだ。「ギョーザの町日本一」をめぐるバトルも毎年熾烈を極めているが、なぜ私たち日本人はここまでギョーザに熱くなれるのか? そこで今回は、外食、中食、内食でおなじみの「ギョーザ」にスポットを当てる。
中国に起源をもち、日本に伝来してからは本場とは異なるかたちで普及したギョーザ。とくにこの10年は、外食産業におけるギョーザのポジショニングが大きく変わったという。ギョーザに詳しい「東京餃子 通信」編集長の塚田亮一氏に話を伺った。
本場を凌ぐ種類と食べ方ごはんのおかずとして進化
飲食店はもちろん、スーパーで購入する 冷凍餃子なども含めて年間300回以上、ギョーザを食べるという塚田氏。子供の頃、家族でギョーザを手づくりし、ホットプレートで焼いた家族団らんがギョーザ好きの原点だ。好きが高じて食べ歩きを始めたのは、10年ほど前から。今でこそ、グルメサイトでカテゴリー検索ができるが、当時はギョーザ専門店が少なく、店探しは苦労したという。ちょうどその頃、Twitterが世の中に登場し、webメディアの仕事をしていた塚田氏はTwitterを使って、食べ歩きの模様を投稿。すると、同じギョーザ好きの人たちから続々と情報が寄せられ 情報交換することに。おかげで食べ歩きがますます楽しいものになり、せっかくなら記録として残そうと2010年にブログをスタート。それが「東京餃子通信」だ。現在、大阪担当のスタッフとともに、本業の傍ら、ほぼ毎日全国のギョーザ情報を発信している。その記事数、延べ2,000本以上。今やギョーザの専門家として、さまざまなメディアにも登場、ギョーザのさらなる普及に取り組んでいる。
塚田氏によれば、ギョーザが日本の食生活に定着したのは第二次世界大戦後、満洲(現在の中国東北部)から引き揚げてきた人たちが、現地で食べていたギョーザを懐かしみ、その味を再現して闇市などで売ったことに端を発する。戦前にもギョーザは存在したようだが、定着という点では戦後以降だ。世の中が混沌としていた中、簡単につくれておいしいギョーザはたちまち受け入れられ、人気を博した。
日本ではギョーザといえば焼きギョーザを思い浮かべるが、本場中国では水ギョーザや蒸しギョーザが一般的だ。主食として食べられることが多く、麺類の一種のようなとらえ方である。焼きギョーザもないわけではないが、残った水ギョーザを焼いたものや、「鍋貼 (グオティエ)」と呼ばれる棒ギョーザ型のものだ。その名のとおり、大きな鉄鍋に貼り付けるようにして焼き、屋台などで売られている。
起源は中国にあるものの、なぜ日本では水ギョーザよりも焼きギョーザが受け入れられたのか?種類も食べ方も本場を圧倒的に凌ぐ幅の広さだ。
「おそらく“ごはんのおかず”というポジションだったからではないでしょうか。ごはんに合うようにどんどんアレンジしていったことで、中国とは異なるかたちで発展していったのだと思います」(塚田氏)
具材もタレも業態も多彩ギョーザの魅力は包容力
焼きギョーザの普及に一役買ったといえば、1952年に東京・渋谷の恋文横丁(現:渋谷区道玄坂)で満洲帰りの夫婦が営んだ「珉珉羊肉館」(現在は閉店)が挙げられる。メニューの1つとして焼きギョーザを提供したところ大繁盛。そのつくり方を習い、大阪で開店したのが「珉珉」だ。1953年にオープンするや大人気となり、やがてチェーン展開するまでになっている。
「『珉珉』の影響で、関西のほうが関東に比べて圧倒的にギョーザ専門店が多いですね。ローカルチェーンも多いですし。80~90年代にかけて『餃子の王将』や『大阪王将(イートアンド)』などギョーザを押しにした中華チェーン店が広がりましたが、関東の場合、ギョーザの町といわれる宇都宮や浜松は別として、定着するまで苦戦したようです。『餃子の王将』が関東進出したとき、競合は“家庭”だったという話もあります。関東では、ギョーザといえばラーメンのサイドメニューとして食べるか、家で食べるおかずの1つという位置づけでした」(塚田氏)
ギョーザが家庭料理として普及したのは、60~70年代にかけて、ギョーザの皮を製造するメーカーが現れたことが大きい。やがて、日本冷蔵(現:ニチレイ)から家庭用の冷凍ギョーザも発売され、いよいよギョーザは大衆化した。
「ギョーザの面白いところは、地域ごとに食文化とミックスして発展していったことです。たとえば、餡に使う具材は土地柄が出ます。関東では豚挽き肉が一般的ですが、九州では牛挽き肉や合い挽き肉を使います。タマネギの産地が近ければ、タマネギを入れる。また、トレンドも取り入れやすい。パクチーが流行れば、パクチーギョーザが登場し、羊肉がブームになれば、ラムギョーザという具合。包んで焼けば、中身は何でもいい。調理方法も“焼く”がメインですが、揚げても茹でても蒸してもいい。付けるタレもご当地の特色が出ます。アイデア次第でアレンジしやすいところ、一言でいえば包容力がギョーザの魅 力ですね」(塚田氏)
この10年で全国的にギョーザ専門店が拡大したが、興味深いのは「肉汁餃子製作所 ダンダダン酒場」のようなギョーザ居酒屋や、ワインと合わせたギョーザバルなど、ギョーザを前面に出した新業態が現れたことだ。女性や若者をメーンターゲットに、ギョーザの包容力を発揮させた店舗が続々と出現し人気を得ている。これに追随するかたちで、大手居酒屋チェーンがそれぞれギョーザ専門居酒屋を開発。従来の専門店や町中華などで取り切れなかった「ギョーザが好き!」という層を取り込んでいる。
注目するのは揚げギョーザと家庭での手づくりギョーザ
さまざまなギョーザを味わい尽くしてきた塚田氏が、今最も注目するギョーザは2つある。1つはギョーザバルなどでよく見かける揚げギョーザだ。ご当地ギョーザの中では三重県の「津ぎょうざ」が揚げギョーザ推しのギョーザとして知られている。
「一般に、揚げギョーザは肉比率が高く、皮も厚めなので、食べ応えがあります。からあげと同じく、フレーバーのアレンジもできるうえ、出来上がったものにタレをかけてあんかけもできるなど、食べ方のバリエーションがあります。アレンジのし甲斐があり、ポテンシャルが高い。揚げギョーザがもっと増えるとギョーザ市場はさらに面白くなると思いますね」(塚田氏)
焼きギョーザが多いなか、“揚げる”というのはオリジナリティを追求するうえで、カギとなる調理法だ。ギョーザ専門チェーン店の「ホワイト餃子」も“揚げ焼き”という独特な製法を採用し、根強いファンを獲得している。塚田氏が注目するもう1つのギョーザは、家庭での手づくりギョーザだ。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、外食がしづらい状況の今、子供の食育の意味も込めて、もう一度手づくりギョーザを見直してみてはど うかと提案する。
「わが家でもそうですが、子供は自分でつくると、たとえ苦手な野菜が入っていたとしても、喜んで食べますね。遊び感覚で包んでつくれるうえ、ホットプレートを使って目の前で焼けば、賑やかで楽しいですから」(塚田氏)
そもそもギョーザは漢字で「餃子」だが、「餃」は「食べて交わる」と書く。つまり、人の交流を象徴する料理なのだとか。とはいえ、手づくりのハードルはなかなか高い。
「群馬の『ハッスル生餃子』では、餡と皮を別々にして、食べるときにご家庭で包んでもらうという売り方をしています。共働き世帯が増えている今、餡の仕込みは時間がかかり大変だと感じる人も多い。そこを『ハッスル 餃子』が肩代わりし、包んだり焼いたりは、家族みんなが参加して行う。これなら簡単で楽しいし、手づくりのハードルは一気に下がります。こういう打ち出し方も面白いと思いますね」(塚田氏)
身近な材料で簡単につくることができ、栄養バランスもよく、コストパフォーマンスに優れたギョーザ。知恵と工夫とアイデアで、日本の食文化をさらに大きく変える可能性を 秘めている。コロナ禍の影響で巣ごもりの 日々が続くが、こんなときだからこそ、専門店の味を取り寄せたり、手づくりギョーザを極めてみたり、ギョーザ三昧を楽しんでみてはどうだろうか。