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オムニチャネルの“失敗”
在庫・顧客データの一元化だけではない「360°の顧客理解」が戦略の第一歩

小売業のオムニチャネル戦略は失敗したのか──。米アマゾン・ドット・コム(Amazon.com:以下、アマゾン)をはじめとしたEC(ネット通販)の成長ばかりが目立ち、実店舗に消費者は戻ってきていない。注目すべきは、デジタル上の顧客接点の影響力が強まっていることだ。小売業は顧客に認知してもらい、選ばれる存在にならなければならない。

文=熊村剛輔(アドビ システムズ マーケットディベロップメントエンジニア)


実店舗に顧客戻らず苦戦するメイシーズ

 米国の大手百貨店メイシーズ(Macy's)が、2011年度の決算書で“宣言”したことにより、広く知られるようになったと言われているオムニチャネル。だが今、企業は、そのオムニチャネルの意義や位置づけを見直すべきときにきている。昨年夏にメイシーズが発表した、100店舗にも及ぶ大規模な店舗閉鎖計画は、米国内においてオムニチャネルの意味を再考するきっかけとして、十分すぎるものだ。

 

 メイシーズがオムニチャネルを宣言した当時、米国はEC市場の成長に伴い、消費者の購買行動が激変する最中にあった。実店舗は、商品を手に取り確認するだけの場となり、購買はECサイトで行う、いわゆるショールーミング化も加速した。実店舗での販売を中心とした小売企業は営業不振に悩まされ、店舗閉鎖を含め、規模の縮小を余儀なくされていた。

 

 こうした状況下、メイシーズは大規模なシステム投資を行い、実店舗とECサイトの垣根を取り払うアプローチに出る。そして在庫や顧客情報を一元化させ、顧客のニーズや商機を逃さないことに注力した戦略をとった。こういった側面から顧客の利便性を高めることが、メイシーズが理想としていたオムニチャネルだった。

 

 だが、消費者は実店舗には戻って来なかった。ECの売上は好調だったものの、それが実店舗に対して波及しなかったのだ。顧客の利便性向上のために推進した「オムニ(=すべての)チャネル」戦略だが、顧客はその利便性をECに求めるという皮肉な結果を招くこととなる。

 

単純なECシフトではない、デジタル中心に接点が激増

 もちろん、これはメイシーズに限った話ではない。シアーズ(Sears,Roebuck &Company)、Kマート(Kmart)などこれまで米国の消費を支えていた大手小売企業の店舗閉鎖が、ここ数年間相次いでいる。一方で、米アマゾンを中心としたEC市場の成長は著しい。実際、アマゾンは昨年のホリデーシーズン(16年11月1日から12月25日まで)で、過去最高の売上を記録したと発表している。アドビが昨年EC市場を調査したデータでも、11月1日から12月31日にかけての市場全体での売上高は約917億ドル(約10兆2900億円)に達している。これは対前年比11%増の成長だ。

 

 こういった数字だけを見ると、消費者の購買行動は、もはや完全にECにシフトしてしまったようにも見える。だが、それに合わせるかたちで、小売企業は実店舗からECへと軸足を移すことで、売上を向上させることができるのだろうか?

 

 おそらく、そうはならないだろう。昨年夏に全米広告主協会が、会員企業に対して実施した調査を見る限り、ECは少なくとも数字上、それほど大きなインパクトを与えてはいない。

 

 この調査では、73%の回答者が「ECは自社の収益向上に貢献していると思う」と答えている。だが一方で、「ECが企業全体の売上に対して、どの程度貢献しているか」という問いに対しては、30%が「わからない」と答えている。それ以外の回答も、「1~5%程度」が26%、「6~10%程度」が17%となっている。つまりほとんどの企業にとってECは「よくわからないもの」、もしくは「微々たる売上をもたらすもの」としてしか考えられていない。

 

 また、今年1月に米物流企業UPSと米調査会社コムスコアが発表した「UPS Pulse of the Online Shopper」と題された調査では、オンラインショッピングを積極的に利用する消費者にとって、実店舗は非常に重要な存在であるということが、あらためて述べられている。本調査によれば、オンラインショッピングを積極的に利用している消費者の約半数は、頻繁に実店舗を巡っており、次に買いたいものを見付けるために、あえて店舗を利用し、情報を収集しているということがわかる。

 

 つまり、消費者は単純にECにシフトしたわけではない。単に購買行動において選ぶことのできる選択肢が増えただけなのだ。それは消費者と商品を結び付ける接点が、インターネットによって、さらにモバイル端末の急速な普及によって、デジタルを中心に激増した結果でもある。

 

 今や消費者は複数の端末を手に、インターネット上での検索やTV、雑誌などで得られるさまざまな情報から商品を比較検討し、ときには口コミサイトを参照しつつ、来店前に買うものを絞り込む。つまり、デジタル上の顧客接点の影響力が強まっているのだ。そして何よりも、顧客接点と合わせて情報量が増加した結果、企業やブランドからのメッセージは相対的に薄まることとなり、忘れられやすくなっている。この状況下で、企業は生き残るために、激増した接点を手広く、かつ効果的に活用しながら、顧客に自分たちを認知してもらい、選ばれなければならない。そのキーワードが「顧客体験」だ。

 

顧客体験の提供で直面する5つの課題

 だが、よりよい顧客体験を提供することの重要性は認識されていながらも、はじめの一歩をなかなか踏み出せていない企業は多い。その理由、つまりよりよい顧客体験を提供する際に、マーケティング上直面する課題は大きく5つある。

 

 1つめはスピード。アドビの調査によれば、米小売業界のCEO(最高経営責任者)の90%が他社との激しい競争を懸念しており、競争力を維持するためにリアルタイムでのマーケティングが求められていると考えている。だが、日々技術が進化する昨今、とくにデジタル上の顧客接点においてリアルタイム性を維持するハードルは高まる一方だ。

 

 2つめは複雑さ。デジタル上の顧客接点の増加は、すなわちそこから生み出されるデータの増加と複雑化を合わせて招いている。その膨大なデータをどう扱うか、また、その複雑化したデータからどう次の一手を導き出すかといった分析能力も求められる。

 

 3つめは顧客との関係性維持。情報があふれ、選択肢も増加し、購買の主導権が顧客に移った今、「選ばれる」ために企業がしなくてはならないことは非常に多い。

 

 4つめはROI(投資利益率)。投資対効果のことだ。顧客接点が増え、取るべきアクションも増えたなか、マーケティング活動に対して、これまで以上の投資が求められている。自分たちのビジネスを成功に導く仕組みを選び、そこに適切な投資をするための“目”を持つことが必要だ。

顧客接点がデジタルを中心に激増した。その接点から得られるデータを分析し、パーソナライズ化された情報を提供する
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オムニチャネルはこれまでECと店舗での購買の利便性が重視されたが、これからは顧客体験の提供が重要になる
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 5つめが“個客化”。多くの選択肢から消費者に選ばれるには、これまでの「いつでも」、「どこでも」、「だれでも」といったマーケティングに加え、「今だけ(リアルタイム性)」、「ここだけ(位置情報)」、「あなただけ(個人向け)」といった要素が必須となってくる。

 

 これらの課題を解決するために必要となるのが「360°の顧客理解」だ。数多くの顧客接点から的確にデータを取得し、顧客の姿をリアルタイムに見極めることが課題解決の第一歩となる。そのうえで、適切な情報を、適切な相手に、適切な顧客接点を通じて、適切なタイミングで届けるというアクションが続く。

 

 アドビが定期的に実施しているセミナーやワークショップも、顧客接点の把握と、その接点を行き交う顧客一人ひとりをどう理解するかといった内容が中心になっているが、毎回議論が白熱している。それは顧客体験が、これまでオムニチャネルを考えるにあたって、見落とされていたからでもある。オムニチャネルにすべきなのは在庫や顧客情報だけではない。オンライン、オフライン含め、あらゆる接点においてよりよい顧客体験を一人ひとりに提供することこそが、これから求められるオムニチャネルのあるべき姿だと言っていいだろう。