3月21日(本稿執筆時点)は春分の日である。同日、気象庁は東京都心で桜が開花したと発表した。これから、桜の花が咲き誇り、各地の桜の名所とされる場所は人込みでにぎわっていくことであろう。そんな春の日差しが降り注ぐ中、食品スーパーに少々思いを馳せるのであった。
春の日に思う、食品スーパーに“大寒波到来”
去る2月の三連休で大寒波が押し寄せたある日のこと。「夕食に鍋物を」と思い立ち、近所の食品スーパーへと向かう。その店舗は提案型売場で有名なある優良食品スーパーの都市型実験店である。焼き魚をはじめとした総菜がおいしく、度々利用させてもらっている。
しかし、その日は、困ることに気が付いた。鍋物は必要な具材が多い一方、いずれも欲しい分量は少量である。1人での鍋物を想定すると、具材を個別に買うと多過ぎで、とりわけ白菜を中心とした野菜はどうしょうもない。お店の店員さんに尋ねたところ、“鍋キット”のような商品や“鍋物用カット野菜”などは取り扱っていないとのことだった。
そこで、ある電鉄系食品スーパーに向かう。そのお店は普段は鍋キット(うどんと少々の白菜)を売っているためだ。しかし、その日に限って、鍋キットはなかった。店員さんに聞くと、売り切れではなく、そもそもその日は当該商品群を投入していなかったとのことだった(大寒波到来が分かっていたにもかかわらず、鍋物関連全般が手薄だった)。
あきらめて帰路についたが、「バツイチ・シングルには温かい鍋物なんて縁遠いんだよ」と言われているような感じで、寒風吹きすさぶ中、これが“世間の風”かと実感したのであった。
想定家族は3人でも多い!
さて、上記のエピソード(実話)に関して、利用者側と食品スーパー側では見え方が対照的かもしれない。利用者側では“あるある”話の1つに過ぎないが、おそらく食品スーパー側では“ピンときていない”のではなかろうか。食品スーパーの商品政策の根本に関連しているにもかかわらずだ。
食品スーパー業界は、平成以降の過去30年弱で、食生活を取り巻く環境が大きく変
貌したことを直視する必要がある。具体的には、家族類型別の世帯数の割合(平成27年国勢調査)の
変化で、1~2人世帯が6割強を占める(図表1)。また、共稼ぎ世帯は2017年に1,188万世帯(1990年823万世帯の1.4倍)に達しており(図表2)、専業主婦世帯641万世帯の1.9倍である(厚労省「国民生活基礎調査」)。
今や食品スーパーに必要な商品は、小人数向けですぐ食べられるもの(少量・即食)なのだ。想定家族は三世代家族の「サザエさん」(長谷川町子作)や「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ作)ではない。3人家族の「毎日かあさん」(西原理恵子作)でも多いくらいだ。
また、高齢化による胃袋縮小(販売数量減少)が懸念されているが、世帯主年齢別の平均購入金額(総務省「家計調査報告」)を見ると、高齢層ほど支出額が高い(肉・魚・料理食品など)。背景として、中高年層は“少量”ながら“付加価値の高い”ものを求めていると推察され、成熟した食生活への欲求=“おいしいもの”需要の増大が示唆される。
実際、冒頭の優良食品スーパーでは、会長が「おいしいものを食べたい。でも少しでいいんだ」とお話されていると聞く。“(自身の)息子さんが独立され、ご夫婦二人世帯になると、従来のパックの容量では多い”ということなのである。そうした生活者の思いに対して、売場の対応はまだ道半ばかもしれない。
仮に食品スーパー企業が十年一日の如き売場構成・商品構成にとどまり、部分的な商品マッサージで事足れりとしていては、慢性的な売上減少・客数減少を止められないのではないだろうか。
食品スーパーの商品と売場が市場構造の変化に十分対応できていないのは、経営者、そして商品部および売場担当者の生活実感が乏しいためかもしれない。あえて乱暴な表現をすると、商品政策全般と各店舗の売場作りを担っているのが“専業主婦の奥さんにまかせっきりのオッサンと食生活に十分気を配れてない若者達”だから、ではないだろうか。
食品スーパーが食生活を支える重要インフラであろうとするならば、そして真に生活者に向き合おうとするならば、今や、人事制度も含めた抜本的な構造改革が必要なのではないだろうか。もし身近な消費者に“使えない店”と見なされたならば、コンビエンスストアや食品強化型ドラッグストアに浸食され続けるリスクは否めないかもしれない。