不確実性の高い時代、われわれは事業の「多角化」と「集中化」のどちらを取るべきだろうか?DXとESG経営一色の時代、消費者の「消費をしない」という選択も、アパレルビジネスに大きな影響を与える。業界を取り巻く諸問題を俯瞰した上で、その答えを導き出したいと思う。
エルメスの中古品が渋谷で蘇る
先日、渋谷スクランブル・スクエアに立ち寄ったところ、「Hermès Archive」と命名されたスーパーブランド「Hermès」の中古品とおぼしき商品を見事に陳列したポップアップストアが目に入った。フランスでは一般的だといわれている高級中古衣料品の直しと再プレスによる陳列、そして、Archiveという見事な名前に目を奪われ、「撮影可」の文字を見て思わずシャッターを切っていた。
「自動車産業でも中古品市場がある。衣料品市場でも必ず二次流通市場が大きく成長する」と叫んでいたのが一年も経たぬ前だったが、恐ろしいスピードで時代が変化している様を感じた瞬間だった(写真は筆者撮影、ポップアップはKOMEHYOがTSUNAGUをテーマに実施)。
今、世の中はDXやESG経営一色だ。私を含め、多くの人が先行きの見えない世の中で、道しるべとなる「答え」を探している。だが、企業が売上・利益を伸ばし、より豊かになることが唯一解だった私たちにとって、その答えにたどり着く前に、大きな壁に阻まれているのが実情だ。
ともすれば、私たちの経済活動そのものが、私たちの生存さえ脅かすのではないかという、二律背反するものへ答えを求めるものである。正解を導き出すことが極めて難解な理由は、不可逆的に「発展」する私たちの生活を元に戻すことは極めて難しいからである。
多くのアパレル企業が業績悪化に苦しんでいるが、苦悩の論点はハッキリしている。それは、バブル崩壊までの唯一解だった「より大きな売上」と「よりたくさんの利益」を求めることが、今は反作用を起こし、地球環境を大きく破壊しているという事実にいかに向き合うかということだ。
選択と集中に潜む危険なリスク
私が繊維・アパレル業界に入って30年。この業界は多角化と集中化を繰り返してきた。平たく言えば、バブルの時など、景気が良いときは衣料品が売れ企業に金が余る。投資をしても、なお使い切れない金は「多角化」の名目で企業活動やサイズを膨張させていった。
多角化のセオリーは、その企業しか持ち得ない「強み」と強い関係がある領域に事業展開することだ。しかし、バブル時代、多くの金は「ただ上がりそうだ」という理由だけで、土地をはじめ本業とは関係ない事業に向かい企業の資本を食い潰していった。こうして、多くの企業は「投資」ではなく「投機」に金を振り向けた。
やがてバブルがはじけ、企業も使える金に上限が出、まるで一度広げた翼をたたむクジャクのように、多角化した事業やブランド・店舗をたたんでいった。いわゆる「選択と集中」である。
金融の世界には「コングロマリット・ディスカウント」という言葉がある。これは、複数の企業・事業を抱えた複合企業が一つひとつの企業・事業が持つ事業価値の合計より事業価値が低い状態を表し、各事業に「シナジー」(事業上の関係)が見えないときに使う用語だ。本業や強みを定義し、そこと強い相関性のある事業のみを残す本業一点突破の戦略はそれなりに説得力がある。
しかし、現実はそう単純ではない。
あるアパレル企業は、百貨店依存度が非常に高く、新たな成長を求め、当時全国に急激に増えていたショッピングセンターに進出した。だが、どれほど精緻に事業計画を作っても、リテールオペレーションと製造業型オペレーションでは、組織から文化、働く人の能力さえ異なっており、いつまでたってもうまく行かなかった。結果、やはり「得意なところで勝負しよう」ということでお金も時間もかけたいくつかのブランドを消滅させ、一時的には高収益企業となるも、その後、百貨店不況が襲い苦境に陥ったのである。
またある製造機能を持つアパレルは、アジアの国でフランチャイズ展開をしていたが、下方向への垂直統合によりリテーラーへの道を歩むも、赤字が止まらなくなり撤退したということもあった。
このように、本業の強みを生かせず多角化に失敗した話、強みを軸に集中化を行ったものの事業環境の変化で風前の灯となる話を聞くのは、1度や2度ではない。
正しい「選択と集中」とは、実はそう簡単なものではないのである。
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デジタル×D2C は競争優位の源泉とは限らない
海外ではD2Cと呼ばれるECを活用した、メーカー直販によるデジタル・リテーラー型ビジネスモデルが勢力を伸ばしているが、私たちが忘れてはならないのは、デジタルであること、また、D2Cであることが競争優位の源泉ではないということである。
今、誰もが衣料品を必要以上に(瞬間的な購買動機で)買うことにためらいを感じ、デコラティブなファッションに身を包むより、できるだけ上質でベーシックな衣料品を長く使おうという雰囲気が社会的に漂っているように思う。
私たちが身にまとう装いは、私たちを取り巻く社会環境や所得などと高い相関性がある。後付けにせよ、これまで「流行っていた」というトレンドも、裏側にある社会背景と併せて考えれば説明がつくものが多い。
そういう意味で、思考を広げて考えてみれば、「消費をしない選択を消費者がし始めた、というのもSDGsの必然的な帰結として新しいトレンド」なのではないか。
新型コロナウイルスが日本列島を襲う前は頻繁に朝まで飲み明かしていた人も、その経験を2年近くしていない。むしろ、自宅で巣ごもり消費をしデジタルによるリモート技術を使ってビジネスをすれば、3密を避けるため休日はジョギングやアウトドアで体を動かすようになり、人はそうしたライフスタイルに慣れてくる。こう考えれば、アウトドアやスポーツ衣料が比較的好調な理由もわかる。
多角化か集中化か 私の結論は
さて、本稿のテーマである「多角化」と「集中化」について、私なりの結論を書くと、やはり変化の大きな時代だからこそ、自社が持ちうる強みを生かし事業の幅を広げ、マネタイズポイント(収益が入ってくる入口)を複数持つべきだと思う。それほど、世の中は何が起きるかわからないからだ。
反語的だが、私の結論は、「多角化か集中化かという問い自体が間違っている」というものだ。グループ経営や組織論など経営学的な説明はいくらでも可能だが、多角化がうまくゆくケースにおいても、そうでないケースにおいても、結局はそこで事業を営んでいる人の力による部分が大きいということを嫌というほど感じている。
そもそも、多角化の意図が不明瞭であったということであれば、それはマネジメントの問題であるし、理論上本業としっかり結びついたシナジーが明確であるにも関わらず、思うように複合事業体として機能しない場合、そもそもそのような専門性やモチベーションを持たない人員を無理に配員し、苦手なことをやらせているということもあるかもしれない。
私は、今後、アパレル産業は大きく生産量や供給量を減らす時代が来るだろうと思う。そうした中で、縮小均衡から抜け出すためには新しい事業のネタを巻いておく必要があり、否が応でもファッション産業は多角化の道を歩む必要がある。
今、アパレル企業が発電所新設に関わったり、自治体と提携し街作りを行ったりしているのはそうした流れだろう。近い将来、ファッションの定義そのものが根本的に変わり、文化創造事業などと呼ばれる日が来るかもしれないが、人が置き去りにならぬよう私たちはしっかりと多角化の意味を考える必要がある。
プロフィール
河合 拓(事業再生コンサルタント/ターンアラウンドマネージャー)