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「アマゾン・ブックス」の凄みがわからなければ、デジマの本質は理解できないといえる理由

「デジタル化か死か(”Digitize or die”)」――。2015年にフィリップ・コトラー教授が「ワールド・マーケティング・サミット2015」でこう発言してからもう7年が経つ。その間、「オムニチャネル」や「OMO(Online Merges with Offline:オンラインとオフラインの融合)」といったキーワードのもと、世界中で店舗とデジタルの融合が徐々に進んできた。

奇しくもコロナ禍では、企業がそれまでデジタル化に力を入れてきたかどうかが経営面や営業面で大きく明暗を分け、顧客もデジタルと店舗の融合の恩恵を多く受けるようになった。もはやこの世界において、デジタルでつながっていない物事はなくなりつつある。

とりわけアメリカの小売企業のコロナ禍における動きはすばやく、顧客に新しい価値を提供している事例が多くある。本連載では、筆者がこれまで行った企業訪問、店舗視察・購買体験、セミナーや講演への参加などで得た情報をもとに、巷で話題の「リテールDX(デジタル・トランスフォーメーション)」の真の在り方について考察していきたい。

「探している本を見つけるだけならECでよい」という割り切った発想でリアル店舗の価値を再考

アマゾン初のリアル店舗としてオープンした書籍専門店「アマゾン・ブックス」。現在全米で20店舗超を展開する

 本連載の記念すべき第1回は、OMOという流れの大きな起点となったアマゾン(Amazon.com)が運営するリアル書店「アマゾン・ブックス(Amazon Books)」のDXについて取り上げたい。「いまさらアマゾン・ブックス…?」と思われるかもしれないが、同店の取り組みは、実は数多のリテールDXの事例の中でも最も洗練されたものといえる。理由は単純明快、「デジタルの強みを店舗で活用している」ことに尽きる。

 アマゾン・ブックスは2015年11月にシアトルに1号店を出店し、現在は24店舗(2021年10月現在)まで拡大している。店舗に入ると、トラディショナルな本屋との違いをすぐに感じ取ることができる。本がすべて、背表紙ではなく表紙面を表にして置いてあるのだ。

アマゾン・ブックスに並ぶ本はすべて表紙面を表に陳列されている(筆者撮影)

 このような陳列手法は確かに見やすいが、デメリットも大きい。展開できる冊数が制限されてしまう(SKUが絞られる)ためだ。トラディショナルな本屋のように棚に差し込むかたちでできるだけ多くの本を並べる方が、SKUが多いゆえに顧客にとっても「探している本」が見つかる可能性は高い。そこからすると、アマゾン・ブックスの陳列手法は、書店という限られたスペースで行うには非効率的に思える。

 しかし、「探している本を見つけたい」というニーズだけでいえば、アマゾンのECサイトに勝るものはない。多くの人がECで本を買うことの利便性を知り、それによってリアル店舗が苦戦している状況下にあって、「店舗で欲しい本を探す」というアナログな体験をわざわざ提供する必要はないのだ。アマゾン・ブックスのねらいはリアル店舗ならではの「本との”出会い”」を演出することであり、もっと言えば”アマゾン商圏”に顧客をいざなうという役割を担うことにある。

アマゾン・ブックスが提供する”顧客体験”の価値

 では実際にアマゾンブックスはどのような顧客体験を創出しているのだろうか。

 そもそもアマゾンは「地球で最もお客さまを大切にする企業になる」ことをミッションとしており、創業者のジェフ・ベゾスが紙ナプキンに書いた「善の循環」が現在のサイトでも確認できる(https://www.amazon.jobs/jp/landing_pages/about-amazon)。「Customer Experience(顧客経験価値)」が「Traffic(集客)」を生み、「Growth(売上向上)」の循環に入るというフローである。

ジェフ・ベゾス氏が紙ナプキンに書き込んだという「善の循環」の図(アマゾンウェブサイトより)

 ではこの顧客経験価値はどのように実現されているのだろうか。ECサイトとしてのアマゾンの魅力は品揃えや配送のスピードもさることながら、検索性の高さやレビュー、レコメンドといったデジタル価値を最大限に使えることにある。

 これらの強みがアマゾン・ブックスというリアル店舗にも活用されているため、商品の並び方や選び方に特徴があるのだ。例えは、「この本が好きな方にさらにおすすめしたい作品」といったようなレコメンド専用の棚や、アマゾンユーザーからの評価(星)が4つ以上の本を集めたコーナーなど、アマゾンが収集した膨大なデータが棚割りに活用されている。

 同時に、売場に並ぶほとんどの本にはレビューの抜粋が記されたPOPが貼付されており、QRコードを読み取ればスマホ等でそのほかのレビューも閲覧できる。従来のような販売数をベースとした「ベストセラー」を推すのではなく、実際に読者が「読んでよかったかどうか」を売場で伝えているわけである。

 アマゾン・ブックスにおける顧客体験データの活用はこれだけに留まらないのが凄いところで、このほかには「Highly Quotable(ハイライト(アンダーライン)が多く引かれた本」や「Page Turner(3日以内に読み終わってしまうほどおもしろいい本)」といったテーマでの提案も行っている。これらはアマゾンの電子書籍「キンドル」などから取得したデータをもとにしたものだ。実際、ビジネス書であればアンダーラインがたくさん引かれた本は魅力的だし、多くの人が一気に読み終えてしまうような小説はぜひ読んでみたいと思うだろう。

 ここまででアマゾン・ブックスが、従来の「求める本を見つけたい」というニーズには検索性の優れたECで対応し、リアル店舗はデジタル接点で集めたレコメンドや体験データをもとに、「新しい本との出会い」を生む場としてデザインされていることがお分かりいただけたと思う。

アマゾン・ブックスがキッズコーナーに力を入れる理由

キッズコーナーの様子(筆者撮影)

 しかし、アマゾン・ブックスについてもう1つ見落としてはいけないポイントがある。それがキッズコーナーの充実だ。

 日頃ほとんどの本をアマゾンのECで買うようなヘビーユーザーであっても、「子供に買い与える本」となるとどうだろうか。実際に本屋を訪れ、「どれが読みたい?」などと子供に聞きながら選ばせることが多いのではないだろうか。

 こうした購買行動が主流であるがゆえ、アマゾンにとっては「キッズ」はデジタルの強みが生かしにくい(データが集めにくい)セグメントであったと推測できる。その意味でアマゾン・ブックスは、そうした顧客との接点を持つための場としても大きな役割を果たしているのだろう。店内には子供向けのキンドルも販売しており、小さいころからアマゾンのデジタルツールを使ってもらいたいという思惑も透ける。

「顧客経験価値」を資産として活用することの大切さ

アマゾン・ブックスは顧客体験をデータ化しそれを「顧客経験価値」として活用していくことの有用性を6年前の時点で示していた

 アマゾンはECによって「本の買い方」を変え、そこで得た「顧客体験データ資産」を強みとしてリアル店舗を展開することで、他社には真似できない「新しい本の買い方」を提供している。さらにはそこで、子供やデジタルリテラシーが低い人々との接点を構築、アマゾン商圏への取り込みを図っているのである。

 このように、「顧客体験」をデータ化し「顧客経験価値」として活用していくことの有用性はすでに2015年の段階でアマゾン・ブックスが示してくれている。「アマゾンがリアルを侵略し始めた」といった表層的な捉え方では、アマゾン・ブックスひいてはアマゾンの真のねらいを理解することはできない。

 一方で、「巨大なEC企業であるアマゾンだからできることだ」と考える人もいるかもしれない。しかし、もはやデジタルが祖業かリアルが祖業かというのは、リテールDXを考えるうえではなんら関係のないことである。アマゾンはこれからもリアル領域への投資を進めていくと予想されるが、それはすべて「地球で最もお客様を大切にする企業になる」ためであり、優れた「顧客体験」を提供し、そこから「顧客経験価値」を資産活用して成長していくだろう。

 残念ながら日本では「顧客経験価値」が曖昧に定義されており、「デジタル技術によって新しい顧客体験つくる」ことで終わってしまっているケースも少なくないのではないだろうか。しかも、その「顧客体験」をデータとして収集できていないことも多いのが残念でならない。 

 「アマゾンゴー」や「アマゾンフレッシュ」など、アマゾンが送り出すリアル店舗は何かと目を引くものである。しかし、その深層を理解するためには、ベゾスが紙ナプキンに描いた「善の循環」の意味をもう一度見つめ直す必要がある。