評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)
毛沢東の故事を引きながら
ダイエーとその創業者である中内㓛の軌跡をさかのぼってきて、少なからぬ読者諸賢より感想をいただいていた。それとなく見聞きしたことはあったものの、中内兄弟の桎梏(しっこく)のような相剋(そうこく)がかくも根深いものであったとは知らなかったという嘆息、かつて噂(うわさ)にはなっていた金を巡る諍(いさか)いがあれほど複雑かつ長きにわたっていたとはいまさらながら驚いたとの声などであった。それでもなお、中内ダイエーが流通業界に燦然(さんぜん)たる時代を築いたことを否定する声はおよそなく、甘やかに感傷を含んだ懐かしむような回想のそれが多かった。
中内㓛の信奉していた中華人民共和国の建国者である毛沢東になぞらえた評伝の類は少なくない。実際、中内自身も毛沢東の故事を引きながら企業経営について語ることはあった。華々しく上梓(じょうし)しながらすぐに自ら絶版とした『わが安売り哲学』(日本経済新聞社・1969年)でも、毛沢東やその政治思想について繰り返し述べられている。
1971(昭和46)年12月、
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