福岡県を本拠に精肉テナント事業者として創業し、2000年に食品スーパー(SM)事業に参入したフードウェイ。業界でも後発のスタートながら11年には関東への進出を果たし、近年は注目の商業施設内に次々と出店して存在感を発揮している。同社の強さの秘訣と今後の成長戦略を後藤圭介社長に聞いた。
精肉テナント事業者から九州最後発でSMに参入
──フードウェイは1991年に創業した、精肉テナント業のミートイン・ハイマート(福岡県/後藤圭介社長)がはじまりです。
後藤 私はミート・デリカ事業などを展開する明治屋産業(福岡県/谷尾一也社長)の出身です。そこで9年ほどSM内の精肉テナント運営のノウハウを学び、20代の終わり頃4~5人の仲間とともにミートイン・ハイマートを創業しました。はじめは小さな食料品店内の精肉テナントからスタートし、なんとか生計を立てねばと、必死にSMへのテナント出店を進めました。
──2000年にSM事業に進出します。九州最後発とも言われますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
後藤 店舗を10店ほどまで広げられた頃、ある出店先のSMが資金繰りの悪化で夜逃げしてしまいました。その時に物件のオーナーさんから「店全体の運営もやってくれないか」と依頼されたことがきっかけです。SMの運営は未経験でしたが、オーナーさんの支援もあり引き受けました。
当時の流通小売業界は、旧壽屋やマイカル、長崎屋などの倒産が相次ぎ、チェーンストアが奈落の底に落ちていった時代でした。SM事業に参入してから2カ月後くらいには、精肉テナントとして出店していたほかの数店でも出店先のSMが閉鎖されることになり、店の購入を打診されました。そこで「生鮮市場ハイマート」という屋号で2000年4月には「室住店」を、6月には「福浜店」(ともに福岡県福岡市)と「前原店」(福岡県糸島市)を開業します。開業した店では後に、青果や鮮魚、総菜のテナントも退店してしまったため、最終的には全部門を自前で行うようになりました。この時はいま振り返っても苦労が多かったですね。
──そうしたなか、順調に出店を重ねていきます。
後藤 転機となったのは、
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