スマートフォンの普及で斜陽産業になりつつあるカメラ業界において、圧倒的な強さを誇るカメラチェーンが栃木県にある。宇都宮市内に本部を構えるサトーカメラ(栃木県/佐藤千秋社長)だ。カメラ販売シェア17年連続栃木No1、栃木県のカメラ・レンズ・写真の年間消費量を全国平均の3倍以上まで引き上げた実績を持つ、“最強”ともいえるローカルチェーンである。第1回では、サトーカメラが掲げる「想い出をキレイに残す」「地域密着」のキーワードを、その歴史とともに解説する。
「想い出をキレイに残す」ことが使命のカメラチェーン
サトーカメラは、「想い出をキレイに一生残すために」というフレーズを企業理念に掲げている。サトーカメラ代表取締役副社長の佐藤勝人氏には、この理念を掲げるに至った“原点”ともいうべき体験がある。
88年に先代から会社を引き継いでまもない、まだカメラといえばフィルムカメラだった時代のことだ。サトーカメラでカメラを購入したお客から、「まともな写真が取れない。(サトーカメラで)勧められて買ったカメラが粗悪だったせいではないか」とクレームがあったという。しかし原因を調べたところ、悪かったのはカメラではなく、使用したフィルムと現像技術の質だった。この出来事で佐藤氏は、「カメラ屋の使命はただカメラを売ることでなく、『想い出をキレイに残す』ことである」という思いを持ったという。
当時のカメラ店では、「カメラを買ってくれたらフィルムをサービスする」という販促手法が流行しており、サトーカメラも同様のサービスを開始した。しかし他店と違ったのは、サトーカメラはいわば“おまけ”であるフィルムを最高品質のものにした点だ。競合店からは「そんなことをしていては採算が取れない」「なぜ粗利を減らすような馬鹿げたことをするのか」と囁かれたが、この姿勢が後々サトーカメラを成功に導くことになった。
地域密着ゆえの“責任のある商売”
サトーカメラはもとより地域密着型のチェーンだった。先代の佐藤勝男氏が東京オリンピックが開催された1964年、栃木県宇都宮市に第一号店をオープン。以降栃木県内に出店を続け、2005年には県内18店舗を抱えるまでに成長したが、それまで栃木県外へ出店したことは一度もない。「責任のある商売をしようと考えた時、責任が持てるのは栃木県内だけだと思った」と佐藤氏は話す。
サトーカメラが事業を拡大し始めた90年代、業界には家電量販店による“総合化”の波が押し寄せていた。地元栃木県にも大手家電量販店が続々と進出し、このままカメラ一本で行くのか、他の家電も取り扱う“総合化”をめざすのか決断を迫られたが、佐藤氏が出した結論は「大手の真似をしたところで、結局資本力の差で最後は負ける。真似をするのではなく、徹底的にカメラに特化し大手にできない方法を突き詰める」というものだった。
カメラ売場に限れば、家電量販店よりも専門店であるサトーカメラの方が、面積でも品揃えの面でも有利だ。さらに、「カメラを販売して終わり」ではなく、写真の撮り方やメンテナンス方法といったお客からの質問にも細やかに対応することで、「カメラと写真に関する総合的なサポートを受けられる地元の店」として、お客と店舗の間で継続的な関係性を作ることをめざした。地元密着であるがゆえお客同士の繋がりも生まれやすく、「サトーカメラで買えばカメラ仲間ができる」という評判も定着した。
これが佐藤氏のいう、「責任のある商売」の意味だ。「地域に根差し、その場所から逃れられないからこそ、来てくれる顧客に無責任な商売はできない」(佐藤氏)のだ。
「儲かっているかどうか」は自分達が決める
利益についても佐藤氏は、「どれだけ儲かれば十分なのかは、“外野”が決めることではない。業界平均と比べて儲かっている・儲かっていないという判断は無意味」という独自の考えを貫いた。当時のサトーカメラの写真現像関連の粗利率はおよそ25%。業界平均と比較すれば低く、前述の高品質のフィルムのおまけをやめれば利益は増えるが、それでも戦略の変更はしなかった。
一方で、店舗主催で行う撮影会やセミナーなどは、多くのカメラ店が無料で行い集客に利用していたのに対しサトーカメラは有料で実施、現在に至るまで収益の大きな柱となっている。カメラ仲間や技術の向上を求めて、サトーカメラのイベントであれば有料でも参加したいお客が大勢集まったためだ。
高品質フィルムは無料で提供しておきながら、なぜここでは料金をとるのか、ちぐはぐに感じられるかもしれないが、これがサトーカメラの戦略である。カメラを購入したばかりのお客には、まず高品質のフィルムや手厚いサポートでキレイな写真を撮る楽しみを知ってもらう。そうして写真を撮る楽しみを知ったお客は、自らのスキルアップや良い写真のために、快く料金を支払って撮影会やセミナーに参加するようになるのだ。当初は「馬鹿げている」とまでいわれた高品質フィルムの無料提供は、結果としてサトーカメラの収益を支えることにつながったのだ。
デジカメ時代到来、苦渋の決断
独自の路線を貫きながらも順調に成長していたサトーカメラだが、90年代後半、業界全体が大きな転換を迎える。フィルムカメラからデジタルカメラ(以下デジカメ)への移行だ。
当初、業界関係者は楽観的な姿勢だった。佐藤社長によると、ある大手フィルムメーカーの会長は「(フィルムの売上は)2000年から10年かけて1割ダウンする程度」と極めて楽観的な見通しを語っていたというが、実際にはフィルムの売上はその10年で14分の1まで落ち込んだ。さらに、デジカメはフィルムカメラと違い、カメラ自体が売れてしまえばその後のフィルム代や現像代といった売上も見込めない。
しかし、「デジカメの時代が来ているのに売り手の損得だけを考えて、お客にフィルムカメラを売るような無責任なことはできない」(佐藤氏)との考えから、2005年、サトーカメラはフィルムとフィルムカメラの取り扱いをやめた。当時サトーカメラは県内でフィルムカメラの売上シェア8割を占める圧倒的な存在だったが、その地位を捨てる行為に社内から大反感を買い、3分の2の社員が会社を去ったという。
それでも、佐藤氏は「我々の仕事は『想い出を残すこと』だ。そのための媒体がフィルムカメラなのか、デジカメなのかは関係ない」という考えを貫いた。しかしさらなる変化が訪れる。時代はフィルムカメラからデジカメ、そしてデジカメからスマートフォンへと急速に移り変わろうとしていた。(第2回に続く)