北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けています。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第13回は、DCMホーマックに焦点を当てます。全国的に「ホームセンター」のイメージはバラバラで、この度のコロナウイルス感染拡大防止に際して、東京都からは百貨店と同様に「不要不急の店」とのレッテルも貼られました。北海道では、ホームセンターは「不要不急の店」では決してありません。「困りごとを解決してくれる」店です。そのイメージは、DCMホーマックによって作られたのです。
ホームセンターの業態イメージは人によって違う
新型コロナウイルスの感染拡大がますます深刻化しています。1カ月前には北海道が最大の「被災地」でしたが、その後、東京などの大都市圏で感染者数が急増。安倍晋三首相が今月7日、7都府県を対象に新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を出し、17日には対象地域を全国に広げました。
同特措法は、緊急事態宣言の対象となった都道府県の知事が「多数の者が利用する施設」の使用制限や停止を「要請」できる(45条2項)と定めています。今回、東京都の休業要請先の当初案にホームセンターが含まれ、これに政府が待ったをかけたことが大きな話題になりました。
都がホームセンターを含めた理由は明らかになっていませんが、百貨店やショッピングモールと並ぶ形で対象候補としていたところから推測して、「店舗面積が広く、DIY関連など不要不急の商品の取り扱いが多い」という認識があったのでしょう。これには、ホームセンターで生活用品やペット用品などを日常的に購入している都民からも困惑する声が上がりました。
結局、都は政府の意向を受け入れ、百貨店、ショッピングモールとともに「生活必需品売り場に限る」との条件付きでホームセンターの営業継続を認めました。とはいえ、ホームセンターにおける「生活必需品売り場」とはどの範囲までなのか、これも迷うところです。
こうした混乱は、1980年代から90年代にかけ、日用品・雑貨を軸にした「過渡的業態」として発展したホームセンターの曖昧な性格が招いたと言えるでしょう。今世紀に入り、スーパーやドラッグストアなどが取扱商品の幅を広げ、差別化が困難になったホームセンターは、市場特性に応じてさまざまなバリエーションを生み出していきました。
農業資材というプロ向け需要に対応したコメリのハード&グリーン、デザインに優れた生活雑貨のPBを幅広く展開するカインズ、年に一つ売れるかどうかという「不要不急」の商品まで取りそろえたジョイフル本田の超巨艦店…。これらを「ホームセンター」とひとくくりに呼んでいるのだから、人によって「業態イメージ」が食い違うのも当然です。
「困ったときにホーマックに行けば何とかなる」
北海道では、ホームセンターに対し、食品以外の生活必需品が何でも揃い、困ったときにそこに行けば何とかなる-というイメージを多くの道民が持っています。これは、北海道現象5社の一つ、ホーマック(現DCMホーマック)によってもたらされたものと言っていい。屋号の「ホーマック(Homac)」は「Home Amenity Center」=「暮らしを快適にする店」の略称です
北海道現象を起こした小売業経営者たちはみな優れた経営感覚とリーダーシップを兼ね備えた人たちばかりですが、「生まじめさ」という点においては、ホーマックを立ち上げた石黒靖尋氏(故人)がナンバーワンだったと思います。石黒氏の経営理念と、釧路という日本の東端でホームセンター事業に参入したという地理的ハンディが、独特のストイックな店づくりにつながっていった。
ホーマックの前身は、石黒氏の父が設立した釧路市内の金物店、石黒商店です。68年に社長を継いだ石黒氏の転機になったのが73年のオイルショックでした。取扱商品の原価が急騰し、倉庫は返品された石油ストーブの山となった。石黒氏は呆然としながらも「高度成長時代が終わり、これからは暮らしに必要な商品を安く提供する店が求められるのではないか」と思ったといいます。その際、着目したのが米国のホームセンター業態でした。76年にホームセンター「石黒ホーマ」を釧路市内に開店。これがホーマックの1号店です。
米国のホームセンターは、DIYと住宅リフォーム関連を軸に、家を1軒建てるための材料がすべて揃うような品ぞろえを特徴としています。石黒氏は米国流の店をそのまま真似ようとはせず「開店当初は、お客から要望のあった商品を自分ですべてメモに書き出して品ぞろえの参考にした」と振り返っています。元来の金物店の商品をベースに、生活雑貨、ガーデニング、ペット用品と商品カテゴリーを広げ、「暮らしを快適にする店」をつくり上げていったのです。
ホーマックは、売上高1000億円突破(97年2月期)、東証上場(2部=98年10月、1部=2000年2月)ともに、北海道現象5社の中で一番乗りを果たしました。この成長力を磨いたのが過酷な経営環境でした。石黒氏の片腕として経営を切り盛りし、後継社長になった前田勝敏氏は、開業当初は在庫管理が大変で、胃の痛くなる思いの連続だったと語ってくれたことがあります。
例えば、客の求めるネジが1本欠品していたとすると、当時の釧路には同業の店がないので、他の店を紹介することはできません。「そこで、釧路から本州のメーカーに電話で追加発注すると、電話代の方が商品原価をはるかに上回ってしまう」と言うのです。当時は距離に比例して電話料金が高くなる時代で、釧路という遠隔地で小売業を営むのはそれだけのハンディを背負っていたのです。
「商品がたった1個足りないことが、お客にも会社にも損をさせることを痛感した」。前田氏のこの危機感が「単品管理」の発想に行き着くことになります。この分野で先行するイトーヨーカ堂の社員をスカウトし、80年代半ばにはホームセンター業界の先陣を切ってコンピューターによる商品管理を開始。90年にはこれも業界初のPOSシステム導入に踏み切りました。ホームセンターは、クギや園芸用の土などバーコード管理になじみにくい商品の多いため、他の業態に比べPOS普及が遅れていたが、自力で全商品にバーコードを付けて実用化したのです。
こうして売れ筋商品を把握して適正な在庫を保ち、店舗で売れた分だけ商品センターから自動的に補充する-というジャスト・イン・タイムの商品供給体制を確立。暮らしに必要な商品が低価格で揃う店と評判になって、「困ったときにはホーマックに行けば何とかなる」という道民の信頼を確固たるものにしました。
衣食住全て!過疎地の暮らしを守る「ホーマックニコット」
最近のDCMホーマックは、北海道の過疎地の暮らしを守る存在としても注目されています。一例が、子会社のホーマックニコットが昨年9月に室蘭市白鳥台地区にオープンした「ホーマックニコット白鳥台店」です。
室蘭の中心市街地から10キロ離れた高台にある白鳥台地区は、同市が工業都市として栄えていた1960年代に工場労働者らのベッドタウンとして宅地開発されました。しかし高度成長期の終焉に伴うマチの衰退と少子高齢化で、85年に1万3000人いた居住者は15年には7300人にまで激減。18年暮れに地域唯一のスーパーが閉店し、文字通り「陸の孤島」になった。こうした実情が北海道新聞で報道されたのをきっかけに、ホーマックニコットが新規出店に名乗りを上げたのです。開業1カ月の売り上げは、当初予想の1.5倍に達したといいます。
函館発祥の金物店・ツルヤを前身とする同社は、人口の少ない町村部を狙って1000㎡クラスの小型ホームセンターを展開するユニークな企業として知られ、03年にホーマックの傘下に入りました。現在は北海道・東北を中心に104店を展開しています。
「過疎地の救世主」との期待を集めているのは、ホームセンターでありながら、食品の品ぞろえを強化している点にあります。例えば、17年オープンした阿寒店(釧路市阿寒町)は、売場の3分の1を食品が占め、青果、精肉、鮮魚の生鮮3品や日配品の充実ぶりが目を引きます。
こうした戦略を取る背景には、北海道の過疎化に既存の食品スーパーが対応しきれなくなっているという事情があります。当連載の7回目で詳述したように、アークス、コープさっぽろ、イオン北海道による「3極寡占化」は、地方で暮らしていても、札幌と同じ商品を同じ価格で買える「ご利益」をもたらしました。
半面、食品スーパーが高度化しすぎた「弊害」も目に付くようになった。3大グループが主力展開する店舗面積1500~2000㎡のスーパースーパーマーケット(SSM)がペイするには、半径2~5キロ圏内に1万人以上の人口が必要ですが、過疎化が進む北海道では、この条件を満たせない地域が急速に広がっているのです。これらのSSMは、生鮮3品や総菜を店内加工し「つくりたて」を提供するのが大きな売りになっていますが、その加工に携わる働き手の確保も難しい。今や3大グループの新規出店は頭打ちと言っていい状況です
これに対し、ホーマックニコットは全日食チェーンに加盟し、生鮮売り場への商品供給と運営指導を受ける態勢を取っています。生鮮加工のための設備や人材を持つ必要がなく、食品に比べて粗利益率の高いホームセンター部門で利益を稼げるため、過疎地に積極出店できるわけです。
ホーマックは06年にカーマ(現DCMカーマ)、ダイキ(現DCMダイキ)との3社統合によってDCMホールディングスを設立して以来、ホームセンター業界最大手の座を守ってきました。今年3月、そのDCMホールディングスの新社長に石黒氏の長男の靖規氏が就きました。
3社統合を主導した前田氏が取引先の不祥事をきっかけにわずか1年で退任して以降、カーマ出身の久田宗弘氏が社長を務めてきましたが、13年ぶりにホーマック出身者が経営トップに立ったことになります。新型コロナウイルスがまん延し、将来への不安が広がっているこの時期だからこそ、伝統の生まじめさと顧客本位の姿勢を貫き、消費者の暮らしを支えていってもらいたいものです。