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英会話とは体育のようなもの

 米国に行くたびに、英会話力のなさに、落胆させられる。

 とくに近ごろは、退化の度合いが甚だしい。通訳の方におんぶに抱っこで、ちゃんと話す気がなくなっていることが主因なのだろう。

 だから、いざ、話さなければならない局面に立たされた時の赤ん坊並みの会話力には、自分のことながら呆れてしまう。

 

 英語は、中学入学を皮切りに多分20年近く学んできたはずなのに…。

 

 この体たらくを本当に情けないと落ち込んでいたら、同行した商社マンのYさんに励まされた。

「英語は学問じゃないんですよ。頭の良し悪しは関係ありません。むしろ体育に近いと思いますよ。だから、実践あるのみなんです」。

 

 Yさんが言うには、「日本の英語教育とは『空手入門』を読まされているようなもの。入門書を何十回と読んだところで、故・大山倍達さんに勝てるわけがない。強くなるには、実践練習するしかない」と。

 

 ただし、日本の教科書も、近年は実践重視に変わってきており、これまで“This is a pen.”(これは1本のペンです)と書かれていたページには、ファーストフード店の必須会話“For here, or to go?”(店内で召し上がりますか? お持ち帰りですか?)が記されているのだという。

 

 とはいうものの、Yさんの言葉は、私には何の慰めにはならなかった。

 問題は、現時点での私の英会話力のなさに尽きるからだ。

 

 そんな経緯もあったので、現在は、ゴルフの石川遼選手が聞いてメキメキ上達したという『スピードラーニング』の試聴版を取り寄せようかどうしようかと本気で考えているところだ。