滞米中にNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)の名プレイヤーだったジェリー・ウェスト(74)さんの講演を聞いた。
ジェリーさんのバスケットボール歴は、選手、指導者、球団経営者としても非の打ちどころがない。
ウェストバージニア州のチェリアンという小さな町に生まれた。バスケットボールの好きな少年でいつ何時も練習に励んでいるような子供だったという。
高校時代は、通算900点以上のゴールを積み重ね、州大会で優勝。進学したウェストバージニア大学でも大活躍を繰り返し、1960年、米国代表に選ばれたローマオリンピックでは、金メダルを獲得している。
1960年、ジェリーさんはミネアポリスレイカーズ(現:ロサンゼルスレイカーズ)に入団した。ジャンプショットを得手とし、シュートの名手としてチームに多くの勝利をもたらした。「ミスター・クラッチ」と命名され、その勝負強さには誰もが一目を置いた。
ジェリーさんが在籍した当時のレイカーズは強かった。通算14年の選手時代のうち実に9シーズンでそのシーズンの全米チャンピオンを決めるNBAファイナルに進出した。
ところがジェリーさんはNBAファイナルだけは、どうしても勝てなかった。
イライラした。もうやめようとも思った。
そんな時に目にしたのがGMS(ゼネラル・マーチャンダイズ・ストア)、J.C.ペニーの創業者であるジェームス・キャッシュ・ペニー氏の著作に記された一言だったという。
《店で品出しをしている人でも目標を持っていれば、歴史をつくることができる》
“ビジョン”すなわち夢を持てということだった。自分の仕事に誇りを持ち、夢を持っていることは何よりも強いこと。肩書きがあってもなくても関係ない。
ジェリーさんは、NBAチャンピオンになることに目標を設定した。
目標設定すると自分が何をすべきかが明確になった。そして、個人成績だけでなく、チームの1人1人を尊重しチームで協力することに重きを置くようになったという。
その結果、ジェリーさんは9度目のチャレンジでようやくNBAファイナルを勝ち取った。引退する3シーズン前のことだった。
ウェストさんの背番号44は永久欠番。赤と青を背景にドリブルをする白いシルエットが印象的なNBAのロゴのモデルとなっているその人がウェストさんだ。