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パスは、1人で完結できるものではない

 サッカーには《キラーパス》という言葉がある。

「敵に死(=失点)を与えるほどの決定的なパス」という意味であり、確か元日本代表として活躍した中田英寿選手が出てくるまでは、日本では《スルーパス》という言葉を使っていた。

 

 パスとは、1人で完結できるものではない。

 捕球してくれる人がいて、初めて成立するものだ。

 パスとは、いわば共同作業であり、起点となった選手1人の活躍ではどうにもならないということになる。

 

 だから大事なのは、パスの出し手は、受け手の能力を踏まえた上でボールを蹴ることである。

 たとえ、起点の選手が相手の裏を突いても、味方にキャッチするだけの予測力や走力、キャッチ力がなければ意味はないからだ。

 

 実際に、欧州のビッグクラブの選手レベルのパスを日本の一般プロチームの選手に出しても、そうそう取れるはずがない。

 小学生相手にプロが本気でパス出しをしても取れないことと理由は同じだ。

 

 そして、突出した選手が1人だけいても、チームが簡単には強くならないのは、そのためなのだろう。

 

 そう考えてみると、《キラーパス》とはサッカー界の話だけではないのであって、企業や仕事においてもまったく同じことだと結論することができるような気がする。