かねてより病気療養中の東急ストア(東京都)木下雄治社長が3月17日に心不全のため死去した。60歳だった。通夜、告別式は、近親者のみで執り行われた。また、後日「お別れの会」を行うが日程は未定。
木下さんは、1951年生まれ。75年、青山学院大学経済学部を卒業後、東京急行電鉄(東京都/野本弘文社長)入社。2003年、同社取締役。07年、東急百貨店(東京都/二橋千裕社長)専務執行役。08年、東急ストア入社し、09年、代表取締役社長に就任するなど経歴は華やかだ。
さらに10年5月には、私鉄系食品スーパーマーケット8社出資の共同仕入れ機構の八社会(東京都)の社長に就任、11年4月には東京急行電鉄専務取締役に就任した。
木下さんは、東急ストアに新風を巻き起こしたリーダーだった。
08年7月1日、東京急行電鉄は東急ストアを株式交換方式で完全子会社し、東急ストアの東京証券取引所への上場を廃止する。
08年度を初年度とする新中期3カ年計画を策定、実施するも、進捗が停滞する中で、新しいリーダーとして白羽の矢が立てられたのが木下さんだった。
木下さんは『チェーンストアエイジ』誌2009年4月15日号で私のインタビューに応じてくれ、東急ストア社長就任の最大のミッションについて以下のように話してくれた。
《会社の雰囲気を変えることだと考えています。これまで、当社には“待命受命”というべき体質がはびこっていました。なぜなのか、ということを冷静に類推していきますと、川島宏前会長と高橋一郎元社長という2人のカリスマ経営者に行き着きます。2人は、それぞれ79年と81年に当社の取締役に就任しているわけです。
今年、当社の執行役員に就任した人の入社が79年ですから、ほとんどの従業員が自分たちの会社人生のほぼ全期間を2人の優秀な経営者に指示されてきました。そして、2人に対しての尊敬の念や畏怖の念がある中で“待命受命”体質が染みついてしまった。
しかしながら、これだけ環境変化の激しい時代に、上からの指示を待っているだけでは勝ち残ることができません。自分で考えて自分で動くように、ただし、その際には独断専行ではなく、周囲の人を巻き込み、意見を聞きながら、決定して欲しいと繰り返し言っているところです。》
この実現に向けては、社長塾などを新設するなど従業員とのコミュニケーションを密にするとともに、褒章制度を設け従業員のモチベーションアップに努めた。
また、社長直轄プロジェクトとして「人事制度改革(人材育成)」「時間外労働時間削減」「夜間売上拡大」「女性プロジェクト 売場改善チーム」「女性プロジェクト 環境改善チーム」「FSPによるMD見直し」「FSPによる販促見直し」の7つを稼働させている。
さらには店長に「最初の1週間を休暇、次の1週間をストアコンパリゾンに当てる」連続2週間のリフレッシュ休暇を与え、自己啓発できる企業風土を整備した。
売場づくりという面では、52週マーチャンダイジングをスタートさせるとともに、バスケット分析(顧客の買い物かごの中身から、関連購買されやすい商品を見つける手法)やPI値(レジ通過客1000人当たりの購買指数)分析、ABC分析、時間帯分析などのデータ分析に力を注いだ。
さらには、GMS(総合スーパー)にも改革のメスを入れ、GMS店舗をNSC(近隣型ショッピングセンター)である「フレル」に業態転換したり、生活必需品をメーンに品揃える新業態の「マイライフマート」を開発するなど新しい取り組みに挑んだ。
3年間に及ぶ“地ならし”が完了し、ようやく大きな収穫期を迎える時期だっただけに60歳というあまりにも若すぎる死は本当に悔やまれる。合掌。