夭折の漫画家ちばあきおさんの秀作『キャプテン』(集英社文庫:全15巻)を久しぶりに通読した。
この漫画に主人公はいない。強いて挙げるなら“キャプテン”という役職が主人公だ。墨谷中学校野球部の5代にわたるキャプテンの日常を描写することで、その役割は何であるかをきわめて真剣に描こうとしている。
「キャプテンの役割」。
それは、この長編漫画の読者がそれぞれ感じ取れば良い。事実、ちばあきおさんの実兄で漫画家のちばてつやさんは、この作品の主題を「さほど才能に恵まれていない人間でも、その才能を一生懸命に磨こうとする姿勢が美しいんだ。そしてそれが『生きる』ってこと(後略)」と全く異なる視点でとらえている。
しかも、いまや当の作者を亡くしてしまっているのだから、主題が何であったのかは知るよしもない。
しかしながら、ページを進めるうちに「キャプテンの役割とは…」という問いに対する解答にも近い言葉が浮かび上がってきた。
「自分が卒業したあと、どのようなチームを残したかによってキャプテンとしての価値がはかられる」。
凄い、衝撃だった。
この言葉は、何もアマチュア野球部だけに通用するだけではないだろう。
偉大な指導者の評価基準も同様で、業績云々もあるのだろうが、それよりも大事なことは、いかに優秀な人材を育成したかにあると思う。
しかし、産業界では、創業者としての足跡や経営者としての実績ばかりの話題が中心で、そうした類の話をあまり聞かない。
数字の良し悪しだけで評価が決まってしまう冷酷無比な産業界では一代の業績が重要で、アマチュアスポーツ界などとはまったく別の世界なのだろうか?
さにあらず。古代中国において、尭が舜に舜が禹に帝王位を譲った故事に倣うわけではないが、本当に優秀な経営者とは、やはり、その在職期間中に自身を凌駕するような人材を育成した者だろう。
一方、昨日のブログでも書いたように、チェーンストア業界も世代交代の季節のまっただなかにある。
「自分が引退した後、いかなる企業を残したかで経営者の価値がはかられる」とするならば、現経営者の真価は、まさにこれから問われようとしていると言って過言ではない。