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相次ぐ、放言・失言 政治家に求められるのは状況判断力だ

 柳田稔法務大臣は、「(法務大臣は、)『個別の事案についてはお答えを差し控えます』『法と証拠に基づいて適切にやっております』という2つフレーズだけを答えればいい」と言及、国会答弁を軽視したとして、事実上、法務大臣更迭を食らった。

 仙石由人内閣官房長官は、自衛隊を名指しで「暴力装置」と明言し、各所各メディアからの痛烈な批判を浴びている。

 さらには、秋篠宮夫妻が起立して、天皇皇后両陛下の入場を待つ際に「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と中井洽衆院予算委員長は発した――。

 

 このところ、菅直人内閣の閣僚の放言・失言が続いている。

 

 だが、放言・失言は菅直人内閣閣僚の“特権事項”ではなく、自由民主党政権下でも多くの大臣が在任中に口が災いして失職に追い込まれている。

 

 1953年の吉田茂首相(当時は自由党)の「バカヤロー」発言から延々――。

 「不沈空母」「知的水準」発言の中曽根康弘首相。「韓国併合は韓国側にも責任がある」の藤尾正行文部大臣、「人殺し」の浜田幸一衆議院予算委員長、「あっけらかん」の渡辺美智雄自由民主党政調会長、「南京大虐殺はでっちあげ」の永野茂門法務大臣、「韓国植民地時代に日本はよいこともした」の江藤隆美総務庁長官、「神の国」発言の森喜朗首相…。

 

 放言・失言は、まだまだ続く。

 「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」の太田誠一総務庁長官、「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」の鴻池祥肇防災担当大臣、「元気な女性が多くなってきた」の井上喜一有事法制担当大臣、「産む機械」の柳澤伯夫厚生労働大臣…。

 

 オオトリは、小泉純一郎首相だろう。「この程度の約束を守らないのは大したことではない」「今イラクのどこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、そんなの私に聞かれたって分かるわけがないじゃないですか」「人生いろいろ、会社もいろいろ、みんながみんな同じように働いてるわけじゃないでしょう?」――。

 

 これ以外にも相当あるけれども、全部を書き出していたらば、日が暮れてしまうので、この辺にして。

 

 私の意見としては、放言・失言をしたから、それが理由で閣僚を辞任するというのは、おかしな話だと思う。そんなおかしな人間を閣僚に据えた内閣総理大臣も問題だが、選んだ責任は、われわれ有権者にあるからだ。

 

 また、どんな人間も腹の中では、世間の常識とは相いれないヨコシマな意見を持っているものである。それを表に出さないだけの人間だけが閣僚の資格があるとも思えない。

 

 一方では、閣僚職は辞するが、議員辞職はしないという行動も理解できない。

 

 そして、こういう舌禍騒ぎが起こるたびに思い起こすのは、故田中角栄元首相の言葉だ。

 「言っていいこと、悪いこと。言っていい人、悪い人。言っていい時、悪い時」。

  

 その通り。突き詰めて言うなら、政治家に求められるのは状況判断力だ。

 

 (なお、各閣僚の役職は、発言のあった時のままとした)