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いい人材を輩出するには、いい意味での競争が不可欠である

 「三角大福中」とは、佐藤栄作内閣総理大臣の後継を自由民主党の実力者三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の5人が争ったことから、各人の名前の一文字を取って表した言葉である。

 結局、5人とも自由民主党総裁と内閣総理大臣に就任したことは周知のとおりだ。

 

 「三角大福中」は、当時横行していた“派閥政治”の象徴のような言葉であり、派閥は5人が総理総裁に就任するための党内の基盤だった。

 

 その後の総理総裁づくりにも、派閥はその威力を多いに発揮した。

 

 ところが2001年に、小泉純一郎首相が登場し、どの派閥にも属さない「小泉チルドレン」なる議員たちが登場するようになると自由民主党の派閥政治は、一挙に力を失いだす。

 

 もはや、現在の町村(信孝)派(=清和政策研究会)、古賀(誠)派(=宏池会)、額賀(福志郎)派(=平成研究会)、山崎(拓)派(=近未来政治研究会)、伊吹(文明)派(=志帥派)、麻生(太郎)派(=為公会)、高村(正彦)派(=番町政策研究所)といってもピンとこない。

 

 政権政党である民主党の派閥はもっとわけが分からないことになっている。

 田中(角栄)色を承継する小沢(一郎)グループは、いまだに“派閥政治”を引きずるが、鳩山(由紀夫)グループ(=政権公約を実現する会)、菅(直人)グループ(=国のかたち研究会)、横路(孝弘)グループ(=新政局懇談会)、川端(達夫)グループ(=民社協会)、前原(誠司)グループ(=凌雲会)、野田(佳彦)グループ(=花斉会)などは、あまり聞いたことがない。

 

 私は“派閥政治”を肯定するわけではない。

 けれども、“派閥政治”が幅を利かせていたころの自由民主党内には競争原理が働いたことは事実だと思う。

 派閥の領袖争いや党内での権力闘争が人材を育てたと言ったら言い過ぎか?

 

 ところが今は、どの党の議員も同じスタートラインで1人1人の平等化が図られているように見える。それはあるべき姿なのかもしれないが、突出した人物を輩出させにくい環境になっている。

 

 だからというわけではないのだろうが、“世論調査”の結果に振り回される格好で1年ごとに総理大臣が代わっていくような状況が繰り返されている。

 

 いい人材を輩出するには、いい意味での競争が不可欠であるのだが、“派閥政治”の終焉とともに、いまは、その鍛錬の場がなくなり、“うらなり”のような政治家ばかりが「政治ごっこ」に興じているような気がする。