計画停電の発表を受けて、数日間、自転車で通勤することを決めた。
自宅から神保町の会社までは自転車で約1時間半。往復だと約3時間――。
通常よりもさらに早起きをして、目いっぱいの力を込めてペダルを漕ぎ、上り坂に息を切らせていると、電車やバスのありがたさをしみじみ思う。“満員”の苦痛はあるにせよ、雨の日も、酷暑・酷寒の日も、二日酔いの日も、悲しみに落胆した日も45分間も我慢していれば、最寄の神保町駅まで運んでくれるからだ。
インフラ(社会的基盤)とは、水や空気のようなもので、あるのが当たり前と考えがちだ。なくなって初めてありがたみを実感させられる。
“節約”を意識、実践しながら、日々の生活を顧みると、電気、ガス、水道のムダ遣いをどれだけしていたか、恥ずかしくなってしまうほどに反省させられる。注意深くチェックすれば、あれも、これも、それも、ムダ、ムダ、ムダのオンパレードだ。
このところ首都圏内の商業施設の中では、照度がグンと落ち、暗い中での買い物を強いられているが、これとて当たり前のことと慣れてしまえば、まったく問題はないし、不便も感じない。逆になぜ、従来の照度を設定したのかに疑問を持ってしまうほどだ。
しかも、これまでさぞや当たり前のように使ってきた電気は、福島県や新潟県の原子力発電所から遥かに送電線をわたって送られてきたもの。その裏では特定のエリアに大変な負荷を強いているわけだ。
一旦、事故が起これば、エリア近辺の住民は、最も早く多大な不利益を被ることになる。
そう考えると私のエネルギーの消費方法は、申し訳ないことばかりだ。
いま、この危機的状況を何とか乗り切ることを祈念するのと同時に、脱した折には、ここで書いたことを忘れまいと誓いたい。