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アニメーション映画「崖の上のポニョ」のモデル、広島県福山市・鞆の浦で地魚に舌鼓

広島県福山市の「鞆の浦」へやってきた。瀬戸内海に面した歴史ある港町で、アニメーション映画「崖の上のポニョ」のモデルにもなった場所としても知られる。また私が住む京都とも深い関係があるのはあまり知られていない事実だ。今回はそんな魅力的な街を歩き、食事、さらに離島を楽しむという話である。

鞆の浦で地物の鯛を食べる
鞆の浦で地物の鯛を食べる

宮崎駿監督が約1カ月滞在した港町、鞆の浦

 鞆の浦に足を運ぶのはいつ以来だろう。記録を確認すると前回は20169月だから、10年近い時間が流れている。

 再び足を運ぼうと考えたのは、コロナ禍を経て、現地がどうなっているかが気になっていたからだ。もちろん雰囲気ある街並みが印象的だったことも大きい。

 あらためて鞆の浦について紹介すると、広島県福山市鞆エリアの沼隈半島に位置する港町と周辺海域を指す。JR「福山」駅からバスで40分弱と、アクセスは決してよいわけではないが、一帯は人気の観光地となっている。

広島県のJR福山駅からバスで40分弱の鞆の浦

 古くは奈良時代末期に編纂された万葉集に、ここ鞆の浦を詠んだ歌が残っており、長い歴史がある。人々の価値観が時代によって変化する中、1200年以上も前から現在まで人の心を惹きつけ続けているのは、人間の本質は変わっていないからなのかもと思う。

 近年、鞆の浦が注目を集める要因のひとつは、アニメーション映画「崖の上のポニョ」の舞台のモデルになったためだ。江戸時代の建物がそこかしこで見られる街並みは雰囲気があり、宮崎駿監督が約1カ月滞在し作品の構想を練ったというエピソードも理解できる。

歴史が感じられる建物がそこかしこで見られる街並みは雰囲気がある
港町、鞆の浦のシンボル「常夜燈」

 一方、個人的に興味があるのは京都府とも深い関係がある点。福山市の名所のひとつに福山城があるが、正門「福山城筋鉄御門」、そしてその向かい側の「伏見櫓」は、豊臣秀吉が京都府に築いた伏見城の一部を移築したものなのだ。

福山城の正門「福山城筋鉄御門」(左)、そしてその向かい側の「伏見櫓」は、豊臣秀吉が京都に築いた伏見城の一部を移築したもの

 城の一部をバラし、それを福山に持ってきてまた組み立てたのだという。初めて知ったとき、建築に詳しくない私は果たしてそんなことが可能なのか!と驚いたのを覚えている。それはともかく建物の部品の木材や金具、石などを海上経由で運び、船が着いたのが鞆の浦だった。

 かつて福山城を訪れた時、たまたま会った地元の観光ガイドの方から聞いた。とはいえネットで調べてもその情報はどこにも見当たらない。そうなると真偽の程は不明だが、ご存知の方はぜひ教えてほしいと思う。

 さて冒頭に書いたように久しぶりの鞆の浦。なので、あちこちを動きまくった。約150年前、坂本龍馬が滞在した屋根裏の隠し部屋があるという商家も初めて見た。歴史ファンの方が来ても有意義な時間を過ごせるのではないだろうか。

 ずっと歩いていたらお腹が空いてきた。時計を見るとちょうど昼時。どこかで食事しようと、選んだのが「幸(ゆき)さん家(ち)。」。看板に「地魚料理」とあったのが目に留まった。

 期待に胸を膨らませ、私は暖簾をくぐった。

お腹が空いたので地魚を出すという「幸さん家。」へ入った

鞆の浦の地魚 地元で水揚げされた鯛料理を味わう

 店内にはカウンター席のほか、4人掛けのテーブルが2卓が置かれている。こじんまりとしているが、落ち着けそうな隠れ家的な雰囲気が気に入った。

 カウンターに座った私は、早速、お品書き見て何を食べるかを検討する。鞆の浦で有名な魚といえば鯛。店員のお姉さんに聞くと、鯛、さらに舌平目などは地元で朝、水揚げされたものを使っているらしい。悩んだ結果、看板メニューの「幸さん定食」に決めた。

看板メニューの「幸さん定食」に決めた

 料理を待つ間、店内を観察すると、私以外の2組は外国人観光客だった。欧米系で、いずれも店員とコミュニケーションを取る時、日本語を話していたから、かなりの日本通なのかもしれない。

 10分ほどで届いたのがこの料理。どうですおいしそうでしょう。

料理が来た
鞆の浦で有名な鯛をいただく。おいしい

 味噌汁で口を潤した後、まずは立派な鯛の塩焼きから。箸で少し身をとり口へ、うん、おいしい。続けて鯛の刺身。地物との情報を得た効果もあり、かなり美味だった。ちょっとずつ盛られている煮物なども最高、無心で食べた。そして完食、ごちそうさまでした。

 お腹がいっぱいになり、しばらく呆然としていた。少し時間が経って正気を取り戻した後、店を出てまた歩き始めた。次なる目的地があったためだ。

 行き先は「仙酔島」(せんすいじま)。鞆の浦から5分で着く無人島で、1934年、日本初の国立公園に指定された「瀬戸内海国立公園」を代表する名勝地だ。島名には、「仙人も酔ってしまうほど美しい島」という意味がある。

食後、離島の仙酔島へ。船で5分で着く

 連絡船で海を渡る間、デッキに出て風を浴びると気分がよかった。あっという間に到着、島内を歩き始めた。私以外にあまり人はおらず、ほぼ貸切状態である。何もない場所の土をただ踏みしめるのは贅沢な時間だった。

島内を歩き始める。ただ海を眺めていた

 歩きながら、約400年前、伏見城の一部を積んだ船が鞆の浦に着岸した光景を想像していた。

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