嵐山といえば、京都を代表する観光名所のひとつである。古くは平安時代、貴族が大堰川に舟を浮かべて詩歌管弦に興じた。現代も秋は紅葉、春は桜が美しいが、季節に関係なく、常に多くの人で賑わっている。今回、私はそんな嵐山へとやってきた。目的は、とある飲食店に行くためだ。
すぐに入れないのがもどかしい
降り立ったのは、京福電気鉄道嵐山本線、通称、嵐電(らんでん)の「嵐山」駅。早速、渡月橋方面に向かって歩き出すと、祝日だったため土産物店が並ぶメーンストリートは人、人、人。日本人だけでなく、外国人観光客も目立つ。
渡月橋に着いても渡らず、手前を右折、川の北岸を西へと進む。高級料亭や旅館、カフェなどが立ち並ぶエリアを通り過ぎると徐々に空いてくる。しばらく川縁の石畳を歩くうち、お目当ての場所に到着した。渡月橋からの距離は約400m。
もう飲食店が見えている。
だけど、すぐに入れないのがもどかしい。というのは“ある手段”を使って店に近づく必要があるのだ。つまり店は川を挟んだ対岸で営業している。
川岸には看板が立っている。「向岸の茶店にお越しのお客様はこの黄色のボートをご利用ください」(原文ママ)との手書き文字。店に行くには、何と!手漕ぎボートで川を渡らなければならないのである。
視線を落とすと、ゆらりゆらりと揺れながら川に浮かぶ黄色いボートが見える。
私は、店の関係者だという年配の男性に促されボートに乗った。この方、お客が川を渡るのに使用したボートを、こちらの岸に戻すのが仕事だという。私が「ボートに乗るのは久しぶりなもので」と告げると、何と一緒に乗ってくれるという。ラッキーである。
オールを手に、向う岸をめざした。最初、ぜんぜん捗らなかったが、おじさんの丁寧な指導により、すぐうまく漕げるようになった。
途中、ボートを操る自分の勇姿をスマホで自撮りしようと計画していたが、その精神的余裕はまったくなし。数分で着岸。ようやく食事ができるぞ。
嵐山とは思えないリーズナブルな価格
入店したのは、大正8年創業の「琴ヶ瀬茶屋」。西暦だと1919年、今年で103年目を迎えた老舗だ。
このお店、保津川下りの船(観光船)に対し、同じく船で近づき、軽食や飲料、酒を水上販売するのが本業である。観光船の船頭さんからは「船上コンビニ」と親しまれている。一方、私が訪れたのは川岸にある常設店で、貸しボート向けの売店としても機能している。
案内された座敷でメニューを見ると、「おでん 」「下足の天ぷら 」(各500円)、「川魚の天ぷら」( 1000円)はじめ、どの料理も嵐山とは思えないリーズナブルな価格。まず私は「イカ焼き」( 400円)と「瓶ビール 中瓶 」(500円)を注文した。
料理とお酒を待つ間、後ろに手をつきリラックスした体勢で反対側の岸をぼんやりと眺めていた。自分はあそこからやって来たんだと考えると、達成感が湧き上がってくる。ふとこちら側の岸に目を向けると、貸しボート向けの販売コーナーで軽食を求めるカップル、家族連れの姿があった。当たり前だが、皆、ボートで“来店”している。
イカ焼きとビールが到着。コップに注ぎ、ゴクリとやる。OH!ワンダフル。休日はこういう過ごし方もアリだと思ったね。
追加で「焼きそば 」(500円)、「鍋焼きうどん 」(600円)も頼む。知人と一緒に来ており、料理をシェアしたのだ。さらに「チューハイレモン 」(300円)なども。
食べながら観察していると、次から次へとボートでお客がやってくる。男女のペアだけでなく、サラリーマンらしきスーツ姿の男性2人連れもいる。共通するのは、皆、笑顔である点。やはり、食事の前にボートを漕ぐという体験をするというのが、楽しさの演出に大きな効果を与えるスパイスとなっているのだろう。
なおこのお店、期間限定の営業で年内は12月中旬までなので注意が必要だ。コロナ禍の状況によっては休業することもあり、利用の際は事前に電話確認するのが安全かも知れない。
一般に、飲食店はアクセスしやすい場所にある方がありがたい。その意味では、わざわざ手漕ぎボートで行く必要がある琴ヶ瀬茶屋は最悪である。それでも長く愛されてきたというのもわかるような気がする。いつからこのボートシステムを取り入れたのかは知らないが。
最後にネタばらしになるが、実は、「嵐山」駅からは渡月橋をそのまま渡って陸伝いで来ることもできる。とはいえボートを漕いで飲食するのが絶対に面白く、オススメだ。