「食生活」というのはほとんどの国において、多かれ少なかれ海外の食文化の影響を受けながら変化していくものだ。今や世界第2位の経済大国である中国においてもそれは同様で、とくに大きな経済成長を遂げたこの20年に食生活が目まぐるしく変わった。ただ、その変化の過程には、高級化→中食化→内食化→中華料理化と進んでいく、中国ならではの”一定の法則”がある。
サントリーの烏龍茶が中国での下馬評を覆した理由
1995年、サントリーが中国でペットボトル飲料の「烏龍茶」を発売したとき、多くの中国人は「失敗するだろう」とみていたという。なぜなら、当時の中国にはお茶(とくに中国茶)を冷たくして飲む習慣がなかったからだ。
ところが実際に発売されると、若者が飛びついた。サントリーが中国では「無糖」「微糖」「加糖」という3種類を展開したことで、若者は清涼飲料として受け入れたのだ。これをきっかけに中国でも冷たい中国茶を飲む習慣が広がり、今では「タピオカミルクティー」など、若者はむしろ冷たいお茶を好んで飲むようになっている。
このように中国にも欧米や日本、中東、東南アジアの食文化が流入しているが、その定着プロセスには一定の法則性がある。そして、そのプロセスの要所要所で、その食文化をより豊かなものにする食材や調味料を提供できた飲食店や企業が「定番」として定着するのだ。では、その法則性とはどのようなものだろうか。サラダを例にとって解説していこう。
海外発の「高級料理」として流入したサラダ
そもそも中国の伝統的な食文化の中では、「冷たいもの」と「生もの」を食べる習慣はなかった。「冷たい食品は体を冷やし、健康を害する」という古来からの教えがあり、また、公衆衛生が成熟していなかった時代における食中毒を防ぐための生活上の知恵でもあったと思われる。
そうした背景から、中国では加熱されていない・温かい状態で食べられない食品は「食事」として認識されづらい時代が長かった。冷たいものだけでなく常温のものについても同様で、たとえば今でもパンは「間食」としてのイメージが強い。
当然のことながら、「サラダ」も一食のメニューにはなり得なかった。中華料理を思い浮かべればわかるとおり、基本的に野菜は熱を通して食べるのが常識だったからだ。
しかし昨今の中国では、サラダは中国の食文化において一定の地位を得るようになっている。そこに至るまでには、前述の”法則”どおりのプロセスを踏んでいるのだ。順を追って説明していこう。
①海外の”高級文化”として流入
実は上海では、サラダは料理として古くから知られていた。租界に住む外国人たちが毎日のように食べていたからだ。しかし、ごく一部の中国人を除いて、サラダ文化が租界外の人間に浸透することはなかった。
そうした状況に変化を及ぼしたのが、1990年の「ピザハット」の進出だ。中国では宅配主体の日本とは異なり、「ピザレストラン」として展開を始め、そこでのメニューの1つに「サラダバー」があった。ただし、夕食で20元、朝食であれば10元以下が相場だった当時、ピザハットの客単価は70元から80元、サラダバーは25元と値が張った。そのため中国においてピザハットは誕生日やデートで行くような場所となり、必然的にサラダそのものも「高級で海外文化の香りがするメニュー」として、静かに認知が広がっていくことになったのである。
②健康効果が注目される
医食同源の国である中国では特定の食品が普及するうえで、「健康効果」があることはほぼ必須になる。そのため2010年代になると、サラダは「減肥(ダイエット)」に励む若い女性から、幅広い年齢層へと徐々に広がっていくようになる。
減肥薬(やせ薬)の流行など、過度なダイエットによる弊害が知られるようになり、次第に「減脂」「減糖」といった合理的な健康食として、またビタミンなどの栄養素を多分に含むメニューとして、サラダの摂取が拡大していくようになったためだ。同時に、ドレッシングも「ノンオイル」が注目されるようになっていった。
フードデリバリーの勃興が中食化、そして内食化を促す
③デリバリーによる中食化
それでも、サラダは「飲食店で食べるもの」という中国独特の意識は残っていた。そこに変革を起こしたのが、2016年に創業したアリババ系の新小売スーパー「フーマフレッシュ」をはじめとするデリバリー、クイックコマースの勃興による、「サラダの中食化」である。
中国でも温度管理が徹底された物流網、配送体制が確立されたため、新鮮なサラダを自宅で食べられるようになった。自宅で食べる”ちょっとおしゃれなメニュー”、ホームパーティーメニュー、あるいは健康的な食事メニューとして、食卓にも徐々にサラダが登場するようになっていった。
④内食化
中食化に至ればそのまま内食メニューとして定着するのは自然な流れだが、中国の場合、コロナ禍がこれを加速させた。外出自粛が迫られた中で健康に対する関心がより高まり、自分で食材を工夫してサラダをつくる人が増加したのだ。
この内食化の流れの中でポイントになったのが、サラダの味を決めるドレッシングだ。多種類のドレッシングが発売されたことで、サラダがサイドメニューから朝食のメーンメニューに格上げされていった。さらに、野菜だけではボリュームが足りないため、鶏肉、チーズ、ローストビーフなどの食べ応えのある食材もトッピングとして使われるようになった。
また、前述の新小売スーパーなどでは、このようなサラダ食材のセット販売も行われ、パックを開けて食器に移し、好きなドレッシングをかけるだけという調理の簡便さもサラダの普及を促した。
独自改良を加えて「中華料理化」に至る
⑤中華料理化
そして、最後に起こるのが「中華料理化」だ。中華料理の世界は広大で、どのような外国の料理でも、それに類似あるいは延長線上に位置づけられるような中華料理が存在していることが少なくない。
サラダについても、「涼拌菜(リャンバンツァイ)」という中華メニューに親和性があった。これは鶏肉や中華ハム、キクラゲ、春雨、幅広麺などを一度煮た野菜と合わせてつくる料理で、夏バテしたときなどに食欲を回復するための料理として知られている。味付けはもちろん中華醤ベースになる。
近年はこの涼拌菜とサラダが融合して、西洋料理とも中華料理とも言えない独特の”新中国料理”となり、家庭に定着している。そのため、中華風のサラダドレッシングも販売され、よく売れるようになった。また、紫芋や麺など炭水化物の多い食材とも合わせられるようになり、サイドメニューから完全なるメーンメニューとして成立しつつある。
中国の食文化は、四千年の歴史の中で、大きな変革期を迎えている。海外から常に新しい食文化が流入し、豊かになった中国人たちはそれを楽しんでいる。しかし、中華料理文化の偉大な点は、日本が海外の食文化を受け入れたうえで独自改良を加えて“洋食”として昇華させたように、最終的に”中華料理”のメニューとして取り込めるように改良が加えられるという点だ。
今回はサラダを例にとったが、ほかの料理メニューもおよそ同じようなプロセスで消費市場に定着する傾向が強い。そして”次のプロセス”に移行する際に、そこでの変化を機敏にとらえ、求められる食材やメニューを提供できたプレーヤーが、”定番ブランド”の座を射止めることができるのだ。
その意味で、話は冒頭に戻るが、サントリーの烏龍茶の中国での成功というのは、とても示唆に富む事例なのである。