アングル:「くるみ割り人形」が最も愛されるバレエになった理由

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英ロイヤル・バレエの「くるみ割り人形」のワンシーン
舞台芸術関係者は、公演の中止や劇場の閉鎖、コストのかさむ感染予防措置といった暗雲の陰からスポットライトの中へ戻るべく、今も苦闘を続けている。写真は英ロイヤル・バレエの「くるみ割り人形」のワンシーン。2008年12月撮影(2021年 ロイター/Toby Melville)

[20日 ロイター] – 舞台芸術関係者は、公演の中止や劇場の閉鎖、コストのかさむ感染予防措置といった暗雲の陰からスポットライトの中へ戻るべく、今も苦闘を続けている。だがバレエの世界は、このクリスマスシーズンに至って、ようやく成功確実なヒット作の上演を再開することができる。そう、「くるみ割り人形」だ。

この時期に欠かせない同作品は、年間で上演される他の作品すべての合計とほぼ同じ数の観客を集め、年間のチケット収入に占める比率も非常に大きい。世界有数のバレエ団の1つであるニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)では、ほぼ5週間にわたって上演される「くるみ割り人形」が年間のチケット売り上げの約45%を稼ぎ出す。

これだけの規模で集客を行うことは、他の舞台芸術と同様に新型コロナウイルスによるパンデミックのために通常の収益機会をほぼすべて奪われてしまったバレエ業界にとっては不可欠だ。非営利団体「アメリカンズ・フォー・ジ・アーツ」では、米国における非営利の芸術文化団体がパンデミックで失った収益は、2021年7月の時点で推定180億ドル(約2兆円)に及ぶとみている。

「パンデミックのせいで、舞台芸術は壊滅状態にある」と語るのは、ダンス/USAでエグゼクティブ・ディレクターを務めるケリー・エデュセイ氏。「特にダンス分野では、運営予算がバッサリ削られてしまった」

ダンス/USAがアンケート調査を行ったダンスカンパニーの過半数は、前年に比べてチケット収入が減少したと報告しており、44のカンパニーの平均では74%の減収になったとされている。バーチャル公演は3倍以上に増えた。2020年の冬、プロのバレエ団のほとんどは、この季節に「くるみ割り人形」を上演するという長年の伝統を回避し、代わりに過去の「くるみ割り人形」の録画をストリーミング配信した。

 

多くの公演が中止されたことは、劇場周辺の地域経済にも影響を与えた。

「こうした毎年恒例の公演があるということはニューヨーク市にとって非常に重要だ。観光客をこの街に呼び込み、近隣州の住民も訪れるから」と語るのは、NYCBで芸術監督を務めるジョナサン・スタッフォード氏。「ホテルやレストラン、タクシー運転手にとっても重要だ。『くるみ割り人形』でこの街は息を吹き返す」

シカゴに住む前出のエデュセイ氏は「ダウンタウン(繁華街)とは何だろうか」と問いかける。「どうして観光客はこの街に来るのか。博物館があり、ダンス・パフォーマンスがこの街のあちこちで繰り広げられるからだ。芸術・文化セクターこそダウンタウンそのものだ。大都市の多くでは芸術と文化が観光の原動力になっている」

パンデミックのあいだ、ダンス/USAは他の非営利芸術団体と協力し、パンデミック期間中に導入された財政支援の対象に芸術が含まれるよう働きかけた。「Save Our Stages Act(舞台芸術救済法)」は2020年12月に成立し、舞台芸術セクターに150億ドル(約1兆7000億円)の支援が行われた。

「芸術は無くてはならぬものであり、地域社会において、舞台芸術が経済の原動力として活気をもたらしていることを議員たちも理解していると思う」とエデュセイ氏は語った。

昨年は2019年に上演した「くるみ割り人形」をストリーミング配信したNYCBだが、この秋は舞台上演を再開した。ニューヨーク市民にとっても観光客にとっても、66年前から続く伝統の「くるみ割り人形」公演が戻ってきたのだ。

「『くるみ割り人形』をまた上演できるというのは、これまで私たちがやってきたことがすべて報われるということだ」とスタッフォード氏。「街にこの贈り物を届けるために、そしてダンサーたちを舞台に呼び戻すために、あれだけ時間をかけて感染防止対策を練ったのは無駄ではなかった」

「くるみ割り人形」が上演できれば、多くのプロのバレエ団にとって財務面での安定にもつながり、1年の他の時期に芸術的な冒険を試みる余裕も出てくる。

「運営予算という点で、『くるみ割り人形』は収支をバランスさせる効果が大きい」とスタッフォード氏は言う。「それによって、もっとクリエーティブになれる。リスキーな演目にチャレンジする可能性が開ける。私たちがこれだけの数の新作に挑戦できるのは、この演目のおかげだ」

こうして「くるみ割り人形」は全米の、そしてそれ以外の国のダンスカンパニーに恩恵をもたらしているが、その人気はNYCBと、その創設者であるロシア生まれの振付師、ジョージ・バランシンによるところが大きい。NYCBは今もバランシンによる1954年初演のオリジナル振付に従って上演している。

E.T.A.ホフマンによる1816年の童話『くるみ割り人形とねずみの王様』を原作とするこのバレエは、1892年、ロシアのサンクトペテルブルクで初演された。振付はマリウス・プティパとレフ・イワノフ、作曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーである。評判は芳しくなく、初演は不成功に終わった。ジェニファー・ホーマンズ氏は著書『Apollo’s Angels: A Histroy of Ballet(アポロの天使:バレエの歴史)』の中で、当時の批評家はこの作品をロシア帝国演劇界に対する「侮辱」で、「バレエ団の死」を意味するとまで酷評したと紹介している。

それ以降、さまざまな振付師がこの作品をよみがえらせようと試みた。あらすじは、主人公の少女クララがクリスマスイブにくるみ割り人形(=王子)とともにお菓子の国に旅するという物語だ。だが実際に人気作品となるには、1954年、ジョージ・バランシンの振付によるNYCB版を待たなければならなかった。

バレエの第1幕はクリスマスパーティーが舞台だが、1954年の初演は2月で、当時は12月のホリデーシーズンとは関連付けられていなかった。では、その後NYCBが毎年クリスマスに上演するほどの成功となった理由はどこにあるのだろうか。

考えられる理由は「子ども」だ。バランシン振付の「くるみ割り人形」は、彼が設立した「スクール・オブ・アメリカン・バレエ」の幼い生徒たちが初めて起用された作品であり、今日に至るまで、同バレエ団のどの作品よりも多くの子どもが出演する舞台となっている。例年(つまり、子どもたちが感染症に脅えずにすんでいた年)、NYCBでは8ー12歳の子どもを126人、ダブルキャスト体制で出演させている。

幼い頃ロシアで暮らしていたバランシンはバレエ教室が大嫌いだったが、たまたま「眠れる森の美女」の舞台に出演したことが彼を変えた。そして、自分がバレエ教室で何を目指しているのかを子どもたちが理解できるよう、子どもに出演機会を与えたいと考えた。

スクール・オブ・アメリカン・バレエで子ども向けレパートリー担当ディレクターを務め、自身もNYCBで踊っていたディーナ・アバーゲル氏は、「舞台出演というのは、子どもにとって、教室でのレッスンとは100%違う経験になる」と語る。「舞台に上がり、生演奏の音楽に合わせて踊り、衣装を着け、憧れの的だった大人のダンサーたちと同じ舞台を踏むという驚きと魔法、これは非常に素晴らしいことだ」

バランシンは、単にまばゆいライトや華やかな衣装で幼いダンサーたちを魅了することだけに留まらず、観客を引き込むために子どもたちをバレエに登場させたいと考えた。「くるみ割り人形」は子どもの視点から語られる物語であり、バランシンは、幼い登場人物を現実の子どもが演じることを望んだのである。

バランシンのライフワークの大半は、米国におけるバレエ人気を高めることに捧げられた。そして彼は、子どもがその願いを叶える鍵になると考えた。子どもがこの芸術に参加すれば、家族全体が巻き込まれる。幼い頃から鍛えれば、最終的には自分のバレエ団で採用できるようなダンサーが育つ。この目的のため、バランシンは1934年、ニューヨークにスクール・オブ・アメリカン・バレエを創設し、生徒たちを「くるみ割り人形」などの本公演に起用した。

スタッフォード氏は「くるみ割り人形」について「バレエへの入り口として最もふさわしい」と語る。「将来的に、さらなるサポートにつながっている。子どもの頃にこの作品を観た者は、大人になってから自分の子どもにバレエを習わせる。単に年に1回「くるみ割り人形」を観るだけでも、バレエに親しみを抱くようになる」

バランシンは、教室の生徒であるダンサーが年々公演に参加できるように役柄を設定した。通常は8歳から始まり、12歳まで出演する。年齢が上がりテクニックが増していくにつれて、その研鑽のレベルに見合った役が用意されている。

「課題は難しくなるが、年齢に応じた適度な難しさだ。そこが重要なポイントになる」とアバーゲル氏は言う。「そうして『くるみ割り人形』を卒業する頃には、音楽の拍子をカウントし、列を乱さずに踊り、群舞のやり方を覚え、舞台上で大人のダンサーと共に難しいステップに挑む、そういうことができるようになっている」

「子どもは『くるみ割り人形』でいくつもの役柄を経験していく中で、最終的に必要なことをすべて身につけていく」

音楽に合わせてフォーメーションを保つことを20数人の8─9歳児に教えるのは、通常の年であれば、アバーゲル氏にとってもっとも困難な仕事の1つだ。だが今年最大の課題は「ロジスティクス」だったという。というのも、今年のNYCBの舞台には8─9歳児が1人も参加していないのだ。

「くるみ割り人形」のリハーサルは通常、晩夏か初秋に始まる。だが子ども向けにワクチンが提供されたのは、それよりもかなり後の11月初旬だった。NYCBやシカゴのジョフリー・バレエなどプロによる公演の中には、この状況に対応するために、ワクチン接種を受けた12歳以上の子どもだけをキャスティングする例もある。シアトルのパシフィック・ノースウエスト・バレエ団は、通常どおり9─12歳の年代を出演させるが、子どものダンサーには、それぞれ衣装とマッチするようなマスクを着用させている。

今年のNYCBの「子役」は、史上初めて12歳から16歳までとなった。衣装部では、例年より背の高いダンサーが着られるように衣装をすべて作り直した。ただし、来年は従来どおり幼いダンサーを起用できることを期待して、衣装デザインはサイズを簡単に縮められるようになっている。

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