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無理解の壁・前篇~総合スーパー(GMS)の懲りない面々

3月となった。2月決算企業の多い小売企業にとっては、新年度開始の月である。気分も新たにスタートを切りたいが、新型コロナウイルスの影響も広がりつつある。早期の収束を祈りつつ、今日も小売業界に少々思いを馳せるのであった(本稿は全3回からなる「無理解の壁」の第1回です)。

歴史上、直接事業運営したという点で、SMで成功したGMSは存在しない

歴史上、SMで成功したGMSは存在しない

 2019年10月に開催された202月期中間決算説明会から早くも半年が経過した。各社の経営トップが自ら語る成長戦略や経営方針を聞きながら、時折、思うことがある。小売業界においても、なぜ、同じような失敗が繰り返されるのだろう?と。1980年代の大人気コミック「北斗の拳」のアニメ版でのナレーション「悲劇は繰り返される」が思い出される。あるいはマルクス主義で有名な思想家・経済学者のカール・マルクスの「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」の方がしっくりくるかもしれない。もしかして、過去や他社の事例から学ぶことの乏しい人たちなのかもしれない。

 代表的な事例では、総合スーパー(GMS)による食品スーパー(SM)の運営をあげたい。少なくとも、GMSが単独でSMを成功させた事例を筆者は寡聞にして知らない。歴史的にSMで成功したGMSは存在しないと言ってもいいのではなかろうか。

 昨年10月の中間決算説明会シーズンにおいても、幾度か失笑・苦笑を禁じえなかった。まずは、セブン&アイ・ホールディングスである。イトーヨーカ堂の業績回復策と店舗政策の一環として「食品館」22店舗の分社化を視野に入れ、首都圏SMのヨークマートや日本を代表するSMヨークベニマル等とのグループ連携を強めるとのことであった。すなわち、自社では収益化できなかった食品館を切り出して、SM専業のグループ企業にお任せするということである。イトーヨーカ堂が「食品館」の展開を発表した時から“失敗が約束されていた”わけで(筆者は本件取材時、IR担当者に根拠を説明している)、上記の発表はノーサプライズであった。

 もう一つは、イズミである。イズミは西日本で大型商業施設「ゆめタウン」を展開し、商業施設の運営力や収益性の高さから優良GMS企業として知られる。そのイズミでも、SM事業の苦戦が続き、「SM改革」を打ち出すこととなった。当該「SM改革」の主な内容は、同社のSM事業の課題を“GMSの縮小版で高コスト体質”としたうえで、標準化を進めて店舗モデルを確立し、グループSMへ展開していく、ということであった。

 イズミの決算説明会資料では、反省点として“個店主義こそが全てという発想での店舗づくり”と“土日型の集客策のため曜日波動が大きく効率に課題”と明記し、今後の行動方針として“年内には、マネジメント項目を可視化し、KPI確立と環境整備を行う”と表明した。相応の危機感をもって、問題点の抽出と対応策を練ったと推察される。裏返すと、イズミといえども“(GMSSMの違いを)分かってなかった”ということでもある。

原因は「GMSSMの違い」への無理解

出所:筆者作成

 振り返ると、かつてのGMS上位企業(90年代の売上高ランキング上位:ダイエー、イトーヨーカ堂、西友、イオン、マイカル)はいずれもSM事業に乗り出しながら、期待した成果を得られていない(図表)

 いくつか事例を見てみよう。1990年代後半、西友は拡張型SM(コンビネーションストア=フード+ドラッグ&ホームセンター)の「フードプラス」の積極展開を表明した。店舗フォーマットはワンフロア4500(フーズ1500㎡+ノンフード3000)で、会社側は目標として、SM事業で20022月期の営業利益の半分以上を稼ぐことをめざすとした(20002月期決算説明会での会社側コメント)

 しかしながら、同事業の収益は想定通りに立ち上がらなかった。20012月期決算説明会において、木内政雄社長(当時)は「今のところ、フード“マイナス”だ」と(自嘲気味に)表現したうえで、同じ食品売場でもGMSの坪効率とSMの坪効率の違いに苦戦しており、オペレーション面でSMの低い坪効率に対応できていないとの説明であった。

 次は「マックスバリュ」だ。ここで言う「マックスバリュ」(以下、旧MV)は、現在、イオングループのSM各社が展開している「マックスバリュ」(以下、新MV)とは別物である。旧MVはジャスコ(当時、現イオン)が近隣型ショッピングセンター(NSC)を構成する核店舗として、ディスカウントストア型新業態「メガマート(MG)」ともに1993年に構想されたものだ。

 1990年代半ばにおける旧MVは、フード&ドラッグ型で1店舗当たりの売場面積3000㎡、商圏人口57万人という設定の下、収益モデルは、売上高25億円、粗利益率20%弱、売上高販管費率17%、売上高営業利益率2%をめざすとのことであった(1995年当時の取材ノートより)SMとしては不自然に広域からの集客を想定しており、明らかに無理があった。店舗・売場運営においても、GMSに近いオペレーションであったと会社側はコメントしている(1998年時点)。すなわち、GMS同様の週末集客型で、平日と週末の効率格差が大きく、収益・オペレーションともに安定しなかったということである。

 結果として、収益体質の確立には至らず、事業としては慢性的な赤字体質が続き、メガマートとともに跡形もなくなってしまった。その後、MV事業は食品中心のSMをめざして新MVとして再構築され、グループ傘下のSM企業への運営移管も経て、現在に至る。

 上記の事例を見ると、GMS企業が自らSM事業に取り組む際、SMへの理解不足(GMSSMの違いに対する無理解)が共通していると言えよう。

 次回は、SM企業の買収後、GMSのプラットフォームに乗せたことで、結果としてスポイルしてしまった事例を見てみたい。

 時節柄、公私ともども諸々のイベントが中止となって残念な気持ちになるとともに、心の中のBGMで、80年代アイドルの柏原芳恵「春なのに」が流れる今日この頃である。